89年、35年に及ぶストロエスネル政権が、ロドリゲス将軍のクーデターにより崩壊した。ロドリゲス政権は「民主化と人権尊重」を掲げ、政治活動の自由、言論の自由、労働者の団結権等を保障する新憲法を公布(92年)し、国内政治体制の民主化を進めた。93年に39年ぶりの文民大統領として就任したワスモシ大統領は、人権の尊重、司法権刷新、憲法遵守等、民主化定着を柱に掲げ、前政権の民主化政策を引き継いだ。
98年8月に就任したクーバス大統領は、新政府の政策として、信頼できる司法制度の確立、富の偏在の排除、インフラ整備等による経済再活性化、犯罪撲滅等を掲げた。しかし同大統領は、選挙公約であったオビエド将軍の釈放手続きをめぐって最高裁及び国会と対立し、99年3月アルガーニャ副大統領暗殺後に国会議事堂前で起きた流血事件の責任を取り辞任した。新大統領にはゴンサレス上院議長が就任し、53年ぶりの連立政権の下、挙国一致の諸改革、腐敗・汚職の追放及び税制改革、民営化、金融システム改革等により経済活性化に取り組む姿勢を打ち出したが、政党派閥間の対立などから政局は不安定な状態が続いた。こうした中、ゴンサレス大統領弾劾の動きに端を発したストライキやデモが頻発したことから、2002年7月には非常事態宣言が発出された。大統領弾劾の動きは2003年2月11日、上院がこれを否決したことにより収束したが、政府のガバナビリティーは大幅に低下した。4月27日の大統領選挙の結果、与党ドゥアルテ候補が当選し、8月15日に就任した。ドゥアルテ政権は、就任早々から大統領周辺の高官含む腐敗公務員の追放等汚職対策に着手し、国民の期待に応えつつある。
経済面では、基本的に農牧林業の生産及び同産品の輸出に依存している。特に綿花及び大豆の輸出が輸出額の半分近くを占めるため、経済成長は両作物の生産状況と国際価格に左右される。
ゴンサレス前政権は、発足以来、経済再建に向け積極的に取り組み、2001年3月に発表された「経済社会戦略計画」は、我が国が実施した「経済開発調査(EDEP)」を基盤としており、これによってパラグアイ経済発展のための政策方針が示された。しかしながら、アルゼンチン、ブラジルの両大国に依存したパラグアイ経済は大きく停滞し、2002年7月より継続されたIMFとのスタンド・バイ・クレジット交渉も経済改革関連法案成立などのパラグアイ側の条件整備不備から延期された。ドゥアルテ新政権は前政権の課題であった経済改革関連法案を次々に成立させ、早期合意が課題となっていたIMFミッションのスタンド・バイ・クレジット交渉についても、2003年10月のIMFミッションのパラグアイ来訪の折り、ドゥアルテ新政権の改革努力が評価され、同年12月15日のIMF理事会で正式合意した。
我が国とは19年に外交関係を開設し、36年には我が国移住者の入植も始まった。パラグアイ在住の約7,000名の日本人移住者及び日系人は、特に農業の発展に大きく貢献しており、パラグアイ社会からの評価も高い。かかる日系人の存在と我が国の経済協力を背景に、二国間関係は非常に良好である。