80年代後半、パナマ民主化とノリエガ国防軍司令官退陣を求める国内の運動の高まりに併い、この運動に同調する米国との関係は悪化の一途をたどった。89年12月、米軍がパナマに侵攻した結果、ノリエガ体制は崩壊しエンダラ政権が発足した。エンダラ政権は混乱した国内治安・経済の再建、中南米諸国との関係正常化等に努め、94年に発足したペレス・バヤダレス政権は貧困の大幅削減、貧富の格差是正に取り組んだが十分な成果が得られぬまま、99年5月の大統領選挙では貧富の格差是正を掲げたモスコソ候補(アルヌルフィスタ党)がパナマ史上初の女性大統領として選出された。同年9月に発足したモスコソ政権は右公約を実現すべく、4つの基本方針(貧困緩和、人権擁護、社会正義の実現及び環境保全)の下、各種政策を通じ国民生活の改善を図ることを目標としている。同政権の下、99年末にはパナマ運河が米国から返還され、米軍も完全に撤退したことを受けて、港湾関連施設や観光施設建設、学術都市(CIUDAD DE SABER)としての開発など返還地域の開発が進められている。
経済面では、国内資本が十分蓄積されていないことから、外国投資の誘致に積極的に取り組み、中継貿易関連のサービス業振興やコロン・フリーゾーン(自由貿易地区)の活性化、国際金融センターの発展を実現した。経済構造は、サービス産業の割合が大きく、中南米最大の物流・金融センターとして中南米貿易に大きな影響を与える一方、同地域の情勢変化の影響を受けやすい構造となっている。
また、近年は国際システムへの参加に積極的であり、97年にはWTOに加盟した。また、我が国を中心とする東アジア諸国への接近、関係強化にも努めている。米州自由貿易地域(FTAA)にも積極的であり(FTAA交渉の暫定事務局のパナマ設置(2001年3月~2003年2月)、同恒久事務局の誘致)、また、2003年1月、初めての自由貿易協定(FTA)がエルサルバドルとの間で発効した他、中米諸国、メキシコ、台湾等ともFTAの交渉を進めている。
民生移管後の90年以降、マクロ経済は堅調に推移し97、98年には比較的高い経済成長が記録された(97年4.4%、98年3.9%)が、モスコソ政権においては、中南米経済の不振により、フリーゾーンから中南米諸国への再輸出が落ち込んだこと、病害・干魃により農水産業が打撃を受けたこと、米国同時多発テロ事件(2001年9月)などにより、経済成長が鈍化した(99年3.0%、2000年2.3%、2001年0.3%)。失業率は14.7%(2001年)と依然として高い水準にあり、今後、雇用対策も含めた構造調整計画の円滑な実施や、国際金融機関からの新規融資獲得などに向けた自助努力が必要である。
対パナマ援助協調の動きとしては、95年以降各国際機関・国によりドナー会合が複数開催されている。
我が国は米国に次ぐパナマ運河の利用国(2001年米国会計年度、運河通行総貨物量の17.2%は我が国発着地)であり、我が国の対米・対中南米貿易におけるパナマの重要性は非常に大きい。また、我が国は、同国の便宜置籍船制度の世界第1位の利用国であり(日本商船隊の約69%がパナマ船籍を有する)、海運、国際通商面において、我が国とパナマは緊密な関係を有する。