社会主義を掲げたアジェンデ政権が73年に軍のクーデターにより倒れ、ピノチェット陸軍司令官を大統領とする政権が成立した。その後、90年に民政移管が行われ、中道左派の諸派連合を母体にエイルウィン(90年~)、フレイ(94年~)、ラゴス(2000年~)政権が成立。ラゴス政権においても従来の路線を引き継ぎ、市場重視の経済政策、開かれた地域主義に基づく外交政策を基本に、経済成長、貧困撲滅、医療制度改革、高齢者対策、教育改革及び科学技術政策の6分野を重点項目として取り組んでいる。
外交面では、チリ経済のさらなる国際化、中南米諸国との協力・友好関係強化、国連安保理非常任理事国としての責務の遂行、平和維持及び民主主義を確保するための活動への参加等を外交基本政策に掲げている。特に輸出市場の安定確保・拡大を目指して、中南米、米国、欧州のみならず、94年に加盟したAPECや、東アジア・ラテンアメリカ協力フォーラム(FEALAC)に積極的に参加する等、アジア太平洋地域との関係強化を図る多角的経済外交を展開している。チリは、ユニラテラルな関税削減政策(2003年より一律6%)や、WTO等のマルチラテラルな自由貿易交渉に積極的に参加しているほか、バイラテラルの取り組みを推進している。同国は、メルコスール(南米南部共同市場)、アンデス共同体諸国、キューバと経済補完協定を締結しているほか、カナダ、メキシコ、EU、中米、韓国、米、EFTAと自由貿易協定を締結している。また、現在、シンガポール及びニュージーランド(3国間FTA)、中国、インドと交渉開始で合意しているほか、FTAA(米州自由貿易地域)創設にも積極的である。
経済面では、チリは他の中南米諸国に先駆け、70年代半ばから自由開放経済政策を推進しており、80年代初めの債務危機を克服した後、91年から97年までの平均実質経済成長率は8.3%に達するなど長期にわたる高度成長を実現した。その後、アジア危機により景気は低迷するが、2000年には回復し、その後世界経済の低迷や、流動的な中南米諸国の経済情勢にもかかわらず着実な経済成長を維持している。2002年は、国際銅価格の低迷等から輸出が伸び悩み、国内需要が冷え込んだものの、後半からは、中銀の金融緩和政策の継続等の効果もあり、国内需要は回復傾向にある。2003年は、引き続き消費が堅調であり、また、地域・世界経済の回復、銅価格の上昇等から、実質GDP成長率は、3.3%を達成する見込みである。
我が国との関係は、伝統的に友好的である。また、集団移住は行われたことはないが、ペルー、ボリビア等からの再移住もあって、現在約2,600名の日系人・日本人移住者が在住している。最近の我が国要人の訪問は、96年に橋本総理(当時)、97年に常陸宮同妃両殿下、2002年には植竹外務副大臣(当時)、2003年には茂木外務大臣(当時)、倉田参議院議長等があり、チリ側からは、94年、95年、97年にフレイ大統領(当時)、2002年にサルディバル上院議長、アルベアル外務大臣、2003年2月にはラゴス大統領、アジェンデ下院議長が訪日している。
我が国との貿易では、我が国が銅鉱、魚介類・飼料、木材・パルプ等を輸入し、自動車、電気・一般機械等を輸出するという関係にあり、とりわけ我が国の輸入の増加が著しい(2002年実績で我が国の輸出5.4億ドル、輸入19.3億ドル)。
(参考1)主要経済指標等