66年に英国より独立し、バーナム政権時代(80年~85年)に社会主義政策を推進したが、85~92年のホイト政権下において、経済自由化、民主化、西側先進国との関係強化に努め、92年に発足したチェディ・ジェーガン政権も改革路線を継承した。97年末の大統領選挙では、ジャネット・ジェーガン(前大統領夫人)が当選したが、敗れた野党が選挙不正があったとして抗議行動を起こし、98年1月には大規模なデモを行うなど治安情勢が悪化した。カリブ共同体の仲介により、デモの中止、大統領任期の3年への短縮を含む憲法改正及び選挙結果の審査に関する国際的検証の実施につき与野党間で合意が成立し、情勢は一時沈静化した。しかし同年6月末に反政府運動が再発し、ホイト野党党首がこれを支持したため、1月の合意は事実上破棄された。その後、同年7月にカリブ共同体仲介のもと、ジェーガン大統領とホイト党首が会見を行い、再度合意文書に署名し、反政府運動は沈静化した。99年8月には健康上の理由でジェーガン大統領が辞任、ジャグディオ蔵相が新大統領に就任した。2001年3月に行われた総選挙の結果、ジャグディオ大統領が再選を果たし、4月にはホイト野党党首との党首会談も実現したものの、与党協力は現在まで不調に終わっている(なお、ホイト党首は2002年12月死去)。
外交面では、米国をはじめとする西側諸国との関係強化に努めつつ、非同盟諸国との連帯関係を維持している。また、近年、同国を含むカリブ共同体加盟諸国は、外交政策で共同歩調をとるなど国際社会における発言力を強めてきており、国連をはじめとする国際機関等においては共同体内で意思統一もしくは政策調整を行っている。
経済面では、農業及び鉱業が主要産業で、ボーキサイト、砂糖、米が輸出額の約5割を占めている。また、金、ダイヤモンドを産出し、漁業(主としてエビ)も盛んである。砂糖や米、ボーキサイトの国際価格の低落及び経済政策の失敗もあって80年代に経済は低迷を続けたが、チェディ・ジェーガン政権下では、公営企業の合理化・民営化等に努め、為替切下げ・経済自由化を柱とする経済復興計画を推進した。その結果、94年まで年平均7.7%の高成長を維持したほか、財政赤字削減、インフレ抑制にも成果を出し、97年にはGDP成長率6.1%(国連)を達成した。しかしながら、98年に経済が落ち込み、99年に「重債務貧困国」(HIPC)に認定され、2000年11月に拡大HIPCイニシアティブの決定時点(Decision Point)に到達し、2003年12月に同イニシアティブの完了時点(Completion Point)に到達した。2002年上半期の経済成長率(前年同期比)は砂糖の生産量が大幅に増加(前年同期比31%)したこともあり2.9%となった。
日・カリブ共同体間では93年より日・カリブ協議を開始し、協力関係を強化しつつある(カリコム事務局はガイアナに所在)。