1822年の独立後、一時期を除き政情は安定せず、クーデターによる政権交代が繰り返されたが、79年の民政移管後は民主体制が維持されている。98年8月、マワ前キト市長が大統領に就任し、深刻な財政赤字の改善のため、補助金の削減、金融取引税の導入を行ったが、厳しい経済状況が続く中、マワ政権の経済政策に反対する抗議行動等が頻発した。2000年1月未、先住民組織が一部軍人と共に国会を占拠し、一時暫定政権の設立を宣言したが、その後すぐにノボア副大統領(当時)が軍の支持を得つつ、議会の承認を経て新大統領に就任し、事態は収拾した。ノボア大統領は、ドル化政策を含むマワ政権の経済政策を引き継ぎ、3月には、ドル化のための経済変革基本法が成立した。また、4月には、IMFをはじめとする国際金融機関より3年間で総額20億ドル以上にのぼる融資が決定した。さらに、8月には投資促進・市民参加法が成立し、ドル化を始めとする各種改革に手がつけられた。9月には商取引におけるスクレ(現地通貨)の使用が公式に終了した。2003年1月に就任したグティエレス大統領は改革の継続を訴え、就任早々にIMFからの融資やパリクラブにおけるリスケを実現している。ただし、2003年8月に先住民系の正当が連立政権を離脱するなど、政策運営は困難な状況にある。
外交面では、内政不干渉、民族自決、国家間の平等、軍縮支持などを基本方針とし、米国、欧州、環太平洋諸国との関係強化に力を注いでいる。また、アンデス共同体の加盟国として、アンデス・グループの政治的結束への努力も行っており、特にコロンビア、ベネズエラとは密接な関係を有している。ペルーとの間には長く国境問題が存在し、95年1月には軍事衝突も発生したが、98年10月、最終合意に至り、99年5月には国境の最終画定を終えた。他方、エクアドル北部国境地帯においては、コロンビア・ゲリラや難民の流入が相次ぎ、治安が悪化し、社会不安が高まっている。
経済面では、石油輸出国(92年OPECより脱退)であり、石油に大きく依存するとともに、バナナ、コーヒー、カカオを中心とする農業や水産業が主要な産業となっている。貿易面でも、石油が輸出額の3割以上を占め、水産加工品(主にエビ)、コーヒー等の一次産品が残りの輸出のほとんどを占めている。
72年に石油輸出が始まると、第一次石油危機による原油価格の高騰を受けて石油輸出額は急増し、高い経済成長を遂げたが、86年以降は石油価格の下落、地震災害、コーヒー価格の急落、洪水等の影響を受け経済は深刻な打撃を被った。
ノボア政権の課題は、財政赤字の解消、ガス・電気補助金廃止(IMFの要請)、海岸部州の復興、電気通信会社等の民営化、原油等の伝統的輸出産品に対する過剰依存状況からの脱却等となっている。2001年の経済成長率は5.4%であり、石油輸出による外貨獲得、出稼ぎ労働者からの海外送金等により経済状況は改善しつつある。
我が国との関係は、伝統的に良好である。94年にドゥラン・バジェン大統領が、2002年3月にはノボア大統領が訪日している。また、93年11月には常陸宮同妃両殿下がエクアドルをご訪問されている。