73年から続いた軍政が、85年に民政移管され、サンギネッテイ、ラカジェの二つの政権を経て95年再度サンギネッティ政権が発足した。同政権(95年3月~2000年2月)は、民主主義と市場開放政策を堅持し国際協調路線を尊重しつつ、与党多数の安定政権として、選挙制度改革、財政健全化のための改革、教育改革等を実現した。2000年3月に発足した伝統的二大政党であるコロラド党と国民党との連立によるバジェ政権は、前政権の路線を踏襲し、財政健全化、経済再建のため更なる改革に取り組んでいる。
外交面では、伝統的に欧米諸国及び中南米諸国との連帯と友好協力関係の強化、国連や米州機構(OAS)の重視等を基本政策としている。近年は、アジア太平洋地域との経済分野を中心とした関係緊密化も図っている。
経済面では、伝統的主要産業は農牧業であり、第一次産業はGDPの約10%を占めているほか、GDPの約25%を占める第二次産業においても、食品、羊毛製品、皮革加工品など、農牧業を基礎としたものが中心である。また、観光も盛んでその収入は同国の主要輸出品である牛肉、コメ、羊毛の合計とほぼ同水準に達する。また、金融についても、歴史的に自由化が進んでいたことから地域の金融センターとして機能しており、その他の社会サービス等を含めた第三次産業は全体の約60%を占める。
70年代に経済発展を遂げたが、80年代に入り、ぺソの過大評価による国際競争力の低下、世界的な不況による一次産品価格の下落などのために、経済は停滞した。90年代に入り、ラカジェ政権は社会保障制度改革、電電公社民営化に失敗したが、サンギネッティ政権は社会構造の改革とインフレ抑制を推進し、96~98年には年4%の経済成長を達成した。しかし99年以降は、最大輸出相手国のブラジル及びアルゼンチンの経済危機の余波を受け、マイナス成長になっている。バジェ政権は、国営企業の非独占化を進めるなど国家の効率化を図ると共に増税や公的支出削減を通じた財改赤字の削減を推進しているが、99年以降リセッションが続く中、口蹄疫の発生(2000年10月、2001年4月)による輸出の減少、隣国アルゼンチンの経済危機といったマイナス要因が加わり、その実現は困難を伴っている。貿易収支は92年より赤字傾向にあり、輸出の約4割を占めるブラジル・アルゼンチン向けが低迷する中、アルゼンチン人の預金引き出しを引き金にして金融危機が発生し、2002年7月末には全銀行の一時業務停止を余儀なくされた。ウルグアイ史上最悪と言われる経済危機の影響により、2002年の経済成長は-10.8%、物価上昇率は25.9%を記録した。ウルグアイ政府は同年8月「銀行システム強化法」を成立、右を受け、2003年2月IMFとの経済プログラム合意に至った。
我が国とは21年に外交関係を樹立し、伝統的に友好な関係を有している。最近では98年6月にサンギネッティ大統領が訪日した他、外交関係樹立80周年に当たる2001年の4月には、バジェ新大統領が公式実務訪問している。また、2003年11月には、清子内親王殿下がご訪問された。