[1]アルゼンチン
1.概 説
未曾有の経済危機で任期途中の2001年12月に降板したデ・ラ・ルア政権の後を承け、与野党交替で2002年1月に発足したドゥアルデ政権も、政権基盤の弱さ、深刻化する経済情勢のため任期を短縮することになり、2003年4月の大統領選挙を経て、同年5月にはキルチネル政権が発足した。国際通貨基金(IMF)との協調の下に経済を立て直すことが新政権の最大の課題となっている。
ドゥアルデ前政権の外交面は、基本的に国際金融機関からの支援を巡る交渉が主体になった観があり、90年代のような活発な外交は展開できない状況であった。しかし、キルチネル新政権はメルコスール(南米南部共同市場)を重視する立場を表明し、メルコスール統合プロセスを進めていくことが外交の柱となっている。
経済面では、アルゼンチンの伝統産業は農牧畜業で、肥沃で広大な国土に恵まれ、現在も穀類等の一次産品や農畜産物加工品が総輸出額の約5割を占める。70年代にはいわゆるNICS(新興工業諸国)と呼ばれるまで工業化も進んだが、長年の保護主義的工業化政策の行き詰まりから、90年代のメネム政権は市場原理を重視する自由化・開放化経済政策を推進した。しかし、構造調整(行財政改革、労働市場改革等)は必ずしも十分ではなく、これが最近の経済危機の遠因となった。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
90年代の経済は、94年末のメキシコ金融危機の影響が出た95年を除けば毎年5~8%の成長率を誇ったが、98年頃から成長に陰りが見え、特に99年初頭のブラジルの通貨危機の影響を受け、以後、毎年マイナス成長となった(99年マイナス3.4%、2000年マイナス0.5%、2001年マイナス3.7%)。2001年には財政赤字が深刻となり、国債が暴落し、銀行預金が流出し始めたためデ・ラ・ルア政権が採った預金引出制限がきっかけになり、特に中流階層が反発する中、同政権は途中退陣を余儀なくされた。ドゥアルデ政権はこのような危機を受け継ぎ、11年続いた兌換制を廃止し自由変動相場制に復帰するなど経済建て直しに努力したものの、対外債務の返済は滞り、特に2002年11月には世銀や米州開発銀行(IDB)のような国際金融機関への返済も一時的に滞ったこともあった。またこの間、ドゥアルデ政権はIMFからの金融支援を得るための交渉を最重要課題としたが、IMFの姿勢は厳しく、紆余曲折を経た後、ようやく2003年1月に暫定プログラムの合意に達した。しかし、この合意も2003年8月までのものであり、キルチネル新政権は改めてIMFと交渉する必要があったが、ようやく9月の合意に達した。
アルゼンチンは我が国と1898年に外交関係を開設し、伝統的に友好関係にあり、約3万人の日系人・在留邦人(ブラジル、ペルーに次ぐ規模)が在住している。要人往来も盛んで、93年にメネム大統領、96年にディ・テラ外相、97年にルカウフ副大統領、2001年にはジャバリーニ外相が、2003年にはビルエサ外相が訪日した。我が国からは、94年には河野外務大臣(当時)、97年5月には天皇皇后両陛下がアルゼンチンを御訪問された。特に、98年は日・アルゼンチン修好百周年にあたり、秋篠宮同妃両殿下のアルゼンチン御訪問、メネム大統領の国賓訪日をはじめ、種々の交流行事が両国において成功裡に実施された。
90年代のアルゼンチンにおける経済の安定化にも拘わらず、我が国からの民営化関連の投資は立ち遅れている。94年のトヨタ自動車の進出等はあったものの、投資・通商関係は必ずしも活発ではなく、近年の我が国、アルゼンチン両国の経済低迷もあり経済関係全般は低調である。
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) 基本方針
我が国は、アルゼンチンが伝統的に我が国と友好関係にあること、89年以降の民主体制の定着及び経済の安定化に成功してきたことを踏まえ、アルゼンチンの所得水準が比較的高いことから技術協力を中心に協力を行ってきた。
技術協力は、行政、農業、水産業、工業等の幅広い分野で主に研修員受入れや専門家派遣、第三国研修を実施している。技術協力プロジェクトとしてはこれまでに農林水産業分野等における協力を行っており、また、開発調査についても鉱工業分野等において多くの協力実績がある。特に85、86年に実施した「経済開発調査」(通称「大来レポート」)はアルゼンチンの経済社会開発に対し基本的な助言を与えるものとして高く評価され、94~96年度には第二弾としての調査を実施し、96年6月に最終報告書をアルゼンチン政府に提出した。また、2001年5月のジャバリーニ外相訪日の際、「日・アルゼンチン・パートナーシップ・プログラム(PPJA)」の枠組み文書が署名され、両国が共同して他の開発途上国の経済社会開発支援を進めていくこととなった。また、同年からシニア海外ボランティアの派遣を開始した。
有償資金協力では、94年度にアルゼンチンに対する初めてのプロジェクト型の円借款として環境案件である「レコンキスタ川流域衛生環境改善計画」を供与した。
無償資金協力は、水産無償を83、87、88及び92年度に実施したほか、多くの文化無償を供与した実績がある。
(2) 2001年度の実績
(イ) 総論
2001年度のアルゼンチンに対する援助実績は20.74億円。技術協力は20.74億円(JICA経費実績ベース)であった。2001年度までの援助実績は、有償資金協力118.31億円、無償資金協力57.14億円、技術協力は379.38億円(国際協力事業団(JICA)経費実績ベース)である。我が国は、アルゼンチンの所得水準の高さから、技術協力を中心に行ってきており、2001年5月に「日・アルゼンチン・パートナーシップ・プログラム(PPJA)」の枠組み文書が署名され、両国が共同して他の開発途上国の経済社会開発支援を進めていくこととなった。
(ロ) 技術協力を中心に、農業、環境の分野に対し実施。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)2001年度までに実施済及び実施中のプロジェクト方式技術協力案件
(参考2)2001年度実施開発調査案件
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