[33]ニジェール

1.概   説

(1) 89年以降、民主化の流れの中で、大統領選挙、国民議会選挙等が実施されたが、95年1月の選挙の結果過半数を占めた野党側が成立させた内閣と大統領の対立が顕在化した。こうした中、96年1月マイナサラ国軍参謀長が民主化プロセスのやり直し等を求めてクーデターを起こし、2月には民政移管宣言、7月には大統領選挙が実施され、マイナサラ新大統領が誕生した。しかし、99年4月同大統領が首都ニアメの空港で殺害された後、軍部によって設置された国家和解評議会議長のワンケ少佐が暫定国家元首となり、2000年1月からの民政移管を目指すスケジュールを発表。99年11月の大統領選挙の結果、ママドゥ・タンジャ大統領が選出され、2000年1月新内閣が発足した。タンジャ大統領は2001年9月に内閣改造を行う等、内政の安定を目指している。
(2) 外交面では非同盟中立を標榜しつつ、近年の厳しい経済状況を背景に旧宗主国であるフランスをはじめ、米、独、日本等主要先進諸国との関係強化に努めている。また、イスラム会議機構、サヘル諸国干魃対策委員会、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)等の地域機構に参加し、積極的な活動を行っている。
(3) 経済面では、同国は伝統的な農牧業と70年代半ばより急成長したウラン産業により成り立っているが、近年ウラン市況が低落し、99年には過去最低となっている他、累積債務の増大、天候不良による農産物の生産量落ち込み等により、経済は低迷し、深刻な経済困難に陥っている。96年7月より世銀・IMF支援の下で開始された構造調整政策の着実な実施が求められている。
(4) 我が国は、ニジェールから木材等を輸入し(2000年輸入額140万ドル)、同国に自動車等を輸出している(同輸出額624万ドル)。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標


2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) ニジェールに対する政府開発援助の基本的考え方
  我が国は、96年1月のクーデター以降、原則として新規の援助を見合わせていたが、民主化プロセスの進展等に鑑み、97年1月以降、即効性の高い食糧援助や、民主化の定着に資する援助の実施を検討し、これまで、食糧援助・食糧増産援助や、農業、水供給分野といった基礎生活分野を中心とした無償資金協力、農業分野等における青年海外協力隊派遣、研修員受入れ、開発調査を中心とした技術協力を実施してきた。また、同国の構造調整努力を支援するため、これまで、87年度に「運輸セクター計画」に対し32億円の円借款を供与したほか、ノン・プロジェクト無償資金協力を2000年度までに合計50億円を供与した。
  99年4月のクーデター発生に対しては、同国の民主化プロセスの進捗状況、治安状況等に留意しつつ、実施及び実施の検討を進めることとしていた。その後、2000年1月タンジャ大統領の下で新内閣が発足し、民主化プロセスの進展が見られたので、援助を再開した。ただし、ニジェールは拡大HIPCイニシアティブの適用を受けており、現在、新規円借款の供与による協力は困難である。
(2) 2001年度の援助実績
  2001年度までの我が国の援助累計実績では、有償資金協力37.43億円、無償資金協力436.35億円(以上交換公文ベース)、技術協力115.45億円(JICA経費実績ベース)の協力を行っている。2001年度は、無償資金協力10.86億円(交換公文ベース)、技術協力8.38億円(JICA経費実績ベース)を行った。
  無償資金協力については、保健分野、食糧増産援助等のほか、草の根無償資金協力も実施している。
  技術協力については、研修員受入、専門家派遣、青年海外協力隊派遣を中心に協力を実施したほか、ユニセフとのマルチ・バイ協力の下でポリオ根絶のための医療機材供与を行った。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)2001年度実施開発調査案件
(参考2)2001年度実施草の根無償資金協力案件

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