(1) ナイジェリアは、三大民族間の対立等を背景に、60年の独立以来、内戦や度重なる軍事クーデター等を経験してきた。93年に政権を奪取したアバチャ政権は、民主化逆行措置等を行う一方、自身が大統領になるための形式的な民政移管を準備していたが、98年6月に急死した。後継のアブバカール元首は、政治犯の釈放、民政移管新日程の発表、諸選挙の実施等を順次行い、99年5月には、民主的選挙で選出されたオバサンジョ大統領が、約16年間政権を担当した軍部から政権を受け継ぎ、第4共和制初代大統領として文民政権を発足させた。同大統領は就任以来、議会との対立、民族・宗教対立に悩みながらも、貧困と汚職の撲滅を目標に、積極的に政治・経済改革を推進している。
(2) 同国は、アフリカのリーダーを自覚し、特に西アフリカでは、盟主的存在としてECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の枠組みを通じ、域内の政治的安定や経済統合を積極的に主導している。また、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」の推進にも中心的な役割を果たしている。
99年5月の民政移管以降は、国際社会における同国のイメージ改善に努力するとともに、国連及び国際機関での活動を積極化させ、国際会議の招致や開催等も行っている。
(3) OPEC第6位の産油国(クウェート並みの日産約215万バーレル)(2002年BP統計)であり、総歳入の約71%、総輸出額の約88%を原油関連収入に依存している(2002年ナイジェリア中央銀行資料)。しかしながら、原油収入を国民生活の向上のために適切に利用できておらず、貧困と累積債務に苦しんでいる。オバサンジョ現政権は、ドナー諸国や世銀・IMF等との関係改善、軍事政権時代に横領された公金の回収、累積債務の軽減、基本インフラの改善等に努力しているが、現在のところ同政権の経済改革が、大きな成果を上げるまでには至っていない。
他方、債務問題については、2000年8月のIMFとのスタンドバイ取極合意を受けて、同年12月、パリクラブで債務繰延が合意され、2002年3月現在、二国間交渉が進められている。
(4) 我が国は、ナイジェリアから原油等を輸入し(2002年輸入額74,810万ドル)、同国に鉄鋼、乗用車等を輸出している(2002年輸出額25,950万ドル)(ジェトロ資料)。99年4月には、就任直前のオバサンジョ大統領が訪日し、同年5月には、橋本総理外交最高顧問が同大統領就任式出席のためナイジェリアを訪問した。また、2000年7月には、我が国のイニシアティヴにより実現したG8首脳と途上国首脳との意見交換(東京)及びG8外相と途上国外相との対話(宮崎)に、G77議長国として、オバサンジョ大統領及びラミド外相がそれぞれ出席した。2001年1月には、現職総理初のアフリカ訪問として、森総理大臣(当時)がナイジェリアを訪問、同年5月には、オバサンジョ大統領が我が国を公式訪問した。