[29]中央アフリカ
1.概 説
(1) 93年の大統領選挙でパタセ大統領が選出されたが、96年には給与遅配に端を発し国軍の一部兵士が3度にわたって反乱を起こした。これに対し、アフリカ4カ国元首による共同調停が行われた結果、停戦合意が成立し、この4カ国に2カ国を加えたアフリカ6カ国で構成されるアフリカ仲介軍(MISAB)が派遣された。MISABの任務終了後、98年4月からは国連PKO(MINURCA)が派遣された。同年11月、12月には国民議会選挙が実施され、99年9月の大統領選挙ではパタセ大統領が再選された。MINURCAは2000年2月に撤退し、その後は国連平和構築事務所(BONUCA)が同国の復興を支援してきたが、首都において2001年5月にクーデター未遂事件、同年11月に大統領警護隊と一部国軍兵士による武力衝突事件が発生、加えて2002年10月には反政府武装勢力と国軍との武力衝突事件も発生し、その後戦闘が地方にも拡大していることから情勢は不安定となっている。
(2) 外交面では、非同盟を基本としつつ、内陸国という地理的条件を考慮し、近隣諸国との友好関係の維持を図るとともに、経済困難からの脱却を図るために旧宗主国フランスをはじめとする先進諸国からの経済協力の獲得に努める現実的政策をとっている。
(3) 主要産業は農林業、畜産業等の第1次産業であり、GDPの約55%、労働人口の約56%を占めている。96年の国内の混乱から近年のGDPは、マイナス成長に陥ったが、その後の情勢安定化に伴い経済も回復傾向に転じ、2000年のGDP成長率は1.4%となった。しかし、2001年5月のクーデター未遂事件以降情勢が不安定化しており、同国経済への影響が懸念される。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
(4) 我が国は、中央アフリカから木材等を輸入し(2000年輸入額80万ドル)、同国に自動車等を輸出している(同輸出額401万ドル)。
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) 中央アフリカに対する政府開発援助の基本的考え方
我が国は、水供給、道路分野等を中心とした無償資金協力及び開発と女性(WID)や社会基盤分野等での研修員受入等の技術協力を中心に援助を実施するとともに、感染症対策としてユニセフとのマルチ・バイ協力を93年より実施し、機材供与を行っている。また、2000年度までに構造調整支援のためノンプロジェクト無償資金協力を合計27億円供与した。
同国に対する支援は、96年に相次いで発生した国軍の一部兵士の反乱事件による政情不安、治安の悪化に伴い、研修員受入れを除き一時的に中断された。その後、MISAB及びMINURCAの治安維持活動もあり、現地情勢が落ち着いたため支援を再開し、政情・治安に十分注意しながら民主化促進、経済の安定化に資する支援を実施してきた。
(2) 2001年度の援助実績
2001年度までの我が国の援助累計実績では、有償資金協力6.00億円、無償資金協力339.65億円(以上交換公文ベース)、技術協力26.01億円(JICA経費実績ベース)の協力を行っている。2001年度は、無償資金協力21.85億円(交換公文ベース)、技術協力0.87億円(JICA経費実績ベース)を行った。
無償資金協力については、道路分野等のほか、草の根無償資金協力も実施している。
技術協力については、研修員受入を中心に協力を実施したほか、保健分野においてユニセフとのマルチ・バイ協力の下でポリオ根絶のための機材供与を行った。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考)2001年度実施草の根無償資金協力案件
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