69年以来政権の座にあったバレ政権が反政府勢力の攻勢により91年1月に崩壊し、反政府勢力の一つであるUSC(統一ソマリア会議)が暫定政権樹立を宣言した。しかし、同政権も実質的な機能を果たせないまま、ソマリアは無政府状態に陥った。
これに対し、人道援助のための安全な環境の確保を目的として、93年4月に第2次国連ソマリア活動(UNOSOM:統一タスクフォース軍(UNITA))の業務が開始されたが、95年4月には撤退した。エチオピア、エジプト等の近隣諸国による和平仲介努力も継続的に試みられたが、和平合意には至らなかった。2000年には、ジブチのイニシアチブにより開催された「アルタ和平会議」により、8月には暫定国民議会が発足し、サラ・ハッサン暫定大統領が選定され、同10月には、ガライア暫定首相を中心とする暫定政府が発足した。しかしながら、反暫定政府勢力はこれに反発し、2001年3月にはソマリア和平復興評議会(SRRC)を設立、暫定政府に対する統一戦線を形成し、武力闘争は激化した。かかる状況を打開するべく、2002年1月に行われたIGAD(政府間開発機構)閣僚・首脳会議において、ケニア、エチオピア、ジブチといった隣国が協力し、ケニアにおいてソマリアの全ての勢力を集めての和平会議を開催することが決定され、同年10月中旬に、国民和平会議が開会、同月下旬には停戦合意が成立したが、その後も武力闘争が続いている。
ソマリアの産業は牧畜・農業が中心であるが、外貨資源につながる資源には恵まれていない。更に、91年1月以降の内戦により国内インフラが破壊されており、現在、経済基盤は壊滅的な打撃を受けている。また、旱魃と内戦により中南部を中心に大規模な飢餓が発生し、全人口の約3分の1に相当する150万人以上が飢餓に直面しているとされている。