80年の独立以来ムガベ大統領(87年に首相から大統領に就任)率いるZANU・PF(ジンバブエ・アフリカ国民同盟・愛国戦線)が議会で圧倒的多数を維持してきたが、2000年6月に行われた議会選挙の結果、野党MDC(民主改革運動)が改選120議席中58議席を獲得し大躍進した。これによりこれまでの一党支配体制から二大政党制へと大きく移行し、独立以来最大の政治的転換期を迎えていたが、2002年3月に実施された大統領選挙において、ムガベ大統領はツァンギライMDC党首に40万票近くの差をつけて4選を果たした。ただし、ムガベ政権及び与党支持者(退役軍人等)等による、野党支持者に対する直接的・間接的な様々な選挙妨害措置により、自由かつ公正な投票が行われなかったと国内外から指摘されている。
植民地時代に肥沃な土地のほとんどが白人に所有されてきた結果、小規模な土地しか有しない黒人農民に土地を再分配する農地改革は、独立以来ジンバブエ政府の重要な課題であった。政府は白人大規模農場主の所有する土地を政府の決定の価格で収用することを可能とする土地収用法を92年3月成立させたが、白人農場を中心とする商業農民組合(CFU)が反発し、また、農地を収用するための政府予算も十分でないことから、農地の再分配は遅々として進まず、2000年2月以降、退役軍人等による白人所有農場の占拠が生じている。また同年4月、旧宗主国である英国が収用農地への補償を行わない場合、ジンバブエ政府は付加価値分以外の補償の義務を負わないとの憲法改正が行われ、以降、同改正に基づく土地収用が進められている。
外交面では、非民主的な土地改革の推進及び強権的政治傾向を進めるムガベ政権に対し、英国を中心とする欧米諸国は強く反発し、現在、主要ドナー国のほとんどが、人道的援助を除き政府間経済協力を停止しており、世銀、IMFも融資を停止している。また、2002年3月大統領選挙のプロセスが自由公正でなかったとの国際監視団の報告を踏まえ、英連邦はジンバブエの英連邦評議会への1年間出席停止を決定。EU、米、豪は、ジンバブエ政府高官の渡航禁止・資産凍結、軍事目的物資の輸出禁止の制裁措置を実行するなど、ムガベ政権は国際的に孤立しつつある。2001年8月には、ナイジェリアの仲介により、英国との間で「アブジャ合意」が締結されたが、ジンバブエ側は合意事項を遵守せず、期待された成果はあげられていない。
経済面では、石油等の戦略的資源はないものの豊富な鉱物資源に恵まれ、アフリカの中では社会インフラが比較的整備され、また、農業、製造業及び鉱業が比較的バランス良く発達している。独立後は白人と黒人の格差是正に力を入れ、黒人大衆の教育、保健・医療の向上等に成果を上げた。政府は、従来の統制的な経済を自由化する政策に転換し、91年、世銀・IMFの協力を得て経済構造調整計画(91年~95年)を実施に移し、輸入の自由化、為替制度改革、各種規制緩和、金融管理の分野において進展が見られた。更に、財政赤字の削減、雇用創出等を政策課題とした第二次経済構造調整計画(ZIMPREST 96~2000年)の下で構造調整政策を実施した。しかしながら、近年ジンバブエ経済は、土地改革に伴う政治的・社会的混乱から大きなダメージを受け、財政赤字、インフレ、失業、外貨不足等山積みする問題を前に深刻な状況にある。