75年の独立以来クーデタが頻発する等政情は不安定である。96年3月に初の民主的大統領選挙が実施され、タキ大統領が選出された。その後、同大統領は、同年10月の憲法改正、12月の連邦議会選挙により新体制を確立したが、公務員給与遅配や停電・断水等により国民生活に困難が生じている中、98年11月に急死した。同国は、フランスへの再合併を望む一部地域の分離独立運動という問題を抱えていたが、97年8月、アンジュアン島とモヘリ島が一方的に独立を宣言した。
こうした中、99年4月には、政府がこの問題に対する施策を行わなかったとして、軍部によるクーデタが発生し、軍参謀本部長アザリ大佐が政権を掌握し、憲法を一時的に停止した。アザリ大佐は2000年4月に大統領選挙を行うとする民主化プロセスを発表したが、予定通り進展しなかった。2001年2月、OAUの仲介によりコモロ和解のための枠組み合意が成立し、同年12月には、国民投票により新憲法が採択された。
外交面では、旧宗主国フランスとの関係に加え、中国、リビア、アフリカ連合(AU)及び国際機関との関係が深い。
経済面では、GDPの約40%を農林漁業が占めているが、恒常的に食糧が不足し、全輸入の3分の1を食糧が占めている。一次産品国際価格低迷の影響を受け、バニラ等の香料をはじめとする輸出は伸び悩み、貿易収支は大幅な赤字となっている。経済安定化のための施策として、金融・財政の引き締め、公務員数削減、貿易自由化、バニラ生産促進等を実施しているが、失業問題をはじめ経済は依然低迷している。2000年2月、世銀はプロジェクトを開始すべくミッションを派遣し、またコモロ、近隣国、ドナーを集めて行われた2001年7月の会合で、680万ドルの支援を表明した。