[11]ギニアビサウ
1.概 説
ギニアビサウにおいては、98年6月、隣国セネガルのカザマンス地方への武器密輸を行ったとして更迭されたマネ前参謀長を首班とする一部軍人による反乱が発生、近隣諸国の介入もあり戦闘は膠着状態となった。これに対し西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)等が和平のための仲介努力を行ったが、99年5月の軍事衝突の結果、ヴィエイラ大統領は亡命し、内戦は収拾した。その後、同年11月に総選挙及び大統領選挙が実施され、2000年2月、野党刷新党党首クンバ・ヤラ氏が大統領に当選し就任した。しかし、2000年11月にはマネ前参謀長が軍内部の昇格人事を不満として反乱を起こし、最終的には同参謀長が政府軍との銃撃戦で死亡する事件が発生している。
外交面では、独立以来非同盟路線を堅持し、ポルトガル語圏諸国、欧米諸国及びアラブ諸国と良好な関係を維持しつつ、ECOWAS、サヘル諸国旱魃対策政府間委員会(CILSS)、ポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)、フランス語圏首脳会議等に参加し、地域協力にも努めている。また、97年5月にはアフリカ通貨共同体(CFA)圏に加盟し、近隣の仏語圏諸国との経済的関係も強化された。また、90年から国交を結んでいた台湾とは98年4月に断交、中国と国交を回復した。
経済面では、カシューナッツ生産をはじめとする農業が主要産業であり、GDPの60%余り、労働人口の85%を占めており、鉱工業はほとんど存在しない。また、2000年の一人当たりのGNIは180ドルと後発開発途上国の中でも特に低い水準にある。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
ギニアビサウは独立以来、有力な外貨獲得手段に乏しく、国庫の赤字が増加していたため、87年以降、市場経済を導入し民営化の促進を図り全体的な赤字削減を目指したが、90年代初頭に経済状態が悪化、93年からはIMFの指導の下、緊縮財政を実施した。上述の通り、97年5月からはCFAフラン圏に加入するなど、新たに経済建て直しに向け政策が実施される矢先であったが、98年に発生した内乱の影響により同年のGDP成長率はマイナス30%に落ち込んだ。2000年にはGDP成長率は9.3%に回復したが、同国では依然として疲弊した経済を立て直す必要に迫られている。
我が国は、ギニアビサウに自動車、鉄鋼等を輸出している(2000年輸出額157万ドル)。
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) ギニアビサウに対する政府開発援助の基本的考え方
我が国は、従来よりギニアビサウに対し、研修員受入れ等の技術協力及び食糧増産援助、水産、水供給分野等の無償資金協力や構造調整支援のためノン・プロジェクト無償援助を実施してきたが、98年6月に発生した内乱の長期化により、事実上、同国への援助は民主化支援のための緊急無償援助(選挙支援、99年10月拠出決定)等一部の援助を除き一旦中断された。その後、2000年9月、治安情勢の回復に鑑み、経済協力を再開する方針を決定し、同年度は草の根無償資金協力を実施、2001年度にはWFPを通じた食糧援助を行った。今後の援助方針に関しては、同国の政情・治安情勢の推移を注視しつつ慎重に検討する考えである。
(2) 2001年度の援助実績
2001年度までの我が国の援助累計実績では、無償資金協力108.02億円(交換公文ベース)、技術協力4.55億円(JICA経費実績ベース)の協力を行っている。2001年度は、無償資金協力3.30億円(交換公文ベース)、技術協力0.08億円(JICA経費実績ベース)を行った。
無償資金協力については、食糧援助(WFP経由、3.30億円)を行った。
技術協力については、研修員受入を中心に協力を実施した。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考)2001年度実施草の根無償資金協力案件
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