エリトリアは62年にエチオピアに併合されて以来解放闘争が続いたが、91年5月末にエチオピアのメンギスツ社会主義軍事政権の崩壊により終結し、同時にエリトリア臨時政府を樹立。93年4月の国連監視下での住民投票の結果、同年5月にエチオピアから正式に独立した。イサイアス大統領を首班とする暫定政府は、民主的憲法の制定に着手し、97年5月、約3年間にわたる国民的議論を経て基本的人権及び複数政党制を保証する民主的憲法が制憲議会において採択された。
しかし、98年5月には、エチオピアとの間で国境画定を巡る武力衝突が生じ、99年2月には国境沿いに大規模な戦闘が再開した。その後、アフリカ統一機構(OAU)や米国による調停がなされたものの、2000年5月に、またも国境付近で戦闘が発生し、ようやく同年6月になって、両国は「休戦合意」に署名した。また、2000年12月には両国間で和平合意が成立した。また、2002年4月に両国は国境委員会の裁定受入を表明した。しかしながら、バドメをはじめとする係争地を巡って両国の間に確執が生じ、物理的な国境確定作業ができない状況にある。
経済面では就業人口の多くが生産性の低い農業、牧畜業に従事している一方、食糧の7割を輸入ないし援助に依存し、産業別のGNI構成は運輸が3割以上を占め、工業・その他サービス部門を含めると8割以上に達している。繰り返し生じる旱魃により食糧不足が深刻化しており、食糧の70%を輸入または援助に依存している。
30年に及ぶ内戦のために破壊されたインフラの復旧、経済再建に取り組んできた。93年5月に世銀が「再建復興計画」を策定し、農業、工業生産部門、社会インフラ整備、人的資源の開発等、総額約1億6千万ドルのプロジェクトを策定した。また、エチオピアとの国境紛争は、難民・避難民の大量発生、紛争地域のインフラ破壊等、エリトリア経済に深刻な影響を及ぼし、世銀は2000年12月にインフラ復旧等経済再建のために約2億8千万ドルの「緊急復興計画」を策定している。
我が国は、93年9月に外交関係を開設し、エリトリアから胡椒、羊皮等を輸入し(2001年輸入額約2,000万円)、同国に車両、機械、部品等を輸出している(同輸出額約6億9千万円)。
(1) エリトリアに対する政府開発援助の実績とあり方
我が国は、2001年5月、エチオピアとの国境紛争にかかる和平合意を踏まえ、今後の同国に対する支援のあり方を協議するために政策協議を実施した。同政策協議では、厳しい状況にある

食糧確保、水、保健医療等の基礎生活分野、

戦闘により破壊されたインフラの復旧・整備が開発の優先分野であることが確認され、今後こうした分野への協力を実施していく方針である。
(2) 2001年度の援助実績
2001年度までの我が国の援助累計実績では、無償資金協力64.04億円(交換公文ベース)、技術協力6.29億円(JICA経費ベース)の協力を行っている。2001年度は、無償資金協力10.99億円(交換公文ベース)、技術協力0.1億円(JICA経費実績ベース)を行った。
無償資金協力については、食糧援助及び食糧増産援助による協力を実施した。
技術協力については、研修員受入れによる協力を中心に実施した。