[1]インド

1.概 説

(1) インドは世界第二位の人口、アジア第二位の国土面積を有する。伝統的に民主主義を掲げ、また、「南」、「非同盟」の指導的地位を確立しており、国連等国際場裡での発言力は極めて大きい。
 インドでは1947年の独立以来民主的な政権交代が継続している。98年3月に発足したインド人民党(BJP)を中心とするヴァジパイ連立政権は、その政策綱領で「核政策の見直し、核兵器導入のオプションの行使」を謳い、98年5月に2回にわたり地下核実験を行った。インドは、非核保有国に差別的な条約には反対するとの立場から、核拡散禁止条約(NPT)には未加入であり、包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉にも反対の立場をとった(CTBTは、軍縮会議ではインド及びイランの反対で採択されなかったが、96年9月国連総会において採択)。しかし、核実験に対する国際社会の非難と各国の措置を受け、ヴァジパイ首相は98年9月の国連総会でCTBTに署名する可能性を示唆し、また、99年2月のパキスタンとの首脳会談において「ラホール宣言」を発出する等、パキスタンとの緊張緩和及び信頼醸成への取り組みを進めてきた。
 その後、99年4月には、連立与党間の亀裂から下院においてヴァジパイ政権への信任案が否決され、下院解散・総選挙となった。99年9~10月に実施された総選挙の結果、ヴァジパイ首相を中心とする連立政権が再び成立した。
(2) インドは、独立以降非同盟の雄として活躍し、70年代より旧ソ連との関係を深めた。しかし、冷戦の終焉を機に経済関係を中心とする新たな外交政策を模索し、米国等の西側先進諸国との関係強化、ASEAN・APECへの接近を図る等、多角的外交を推進している。その結果、米国との関係では、2000年3月に米国のクリントン大統領がインドを訪問し、同年10月にはヴァジパイ首相が訪米している。ASEANとの関係においては、95年12月に対話国になり、96年よりASEAN拡大外相会議に参加している。また、1962年の国境紛争以来長期間関係が冷却化していた中国との関係も80年代後半より好転していたが、98年5月のインドの核実験により再び関係が冷却化した。しかし、シン外相が99年6月に、また、2000年4月にナラナヤン大統領が訪中し、関係を修復しつつある。対ロシア関係については、旧ソ連時代の軍事同盟関係から、貿易・軍事協力関係を含む多角的な関係の構築に向け努力しており、2000年10月にプーチン大統領がインドを訪問した際には、「戦略的パートナーシップ」に関する宣言に署名している。
 カシミール問題を巡り対立しているパキスタンとの関係では、対話の再開と中断を繰り返している。両国の核実験後も対話は継続し、99年2月には上述のとおり両国首脳会談がパキスタンのラホールにて開催された。しかし、99年5月、武装勢力がカシミール地域における管理ライン(LOC:71年の第三次インド・パキスタン戦争の停戦時点での両国の支配地域に基づき確定された境界)を越境してインド側に進入した。インド側は、これに対し空爆を行う等激しく反撃する一方、武装勢力がパキスタン当局に支援されているとして、パキスタンを厳しく非難し、同事件以降両国間の対話は再び中断している。99年のサミットにおいてG8諸国は、「地域問題に関するG8声明」の中で「LOCに違反した武装勢力の侵入により引起こされた軍事的対立を深く懸念する。」との声明を出した。戦闘は7月下旬に武装勢力の撤退をもって終了したが、インドの不信感を募らせる出来事となった。更に、99年10月にパキスタンにおいてクーデターが発生し、軍事政権が成立したこともあり、対話は途絶えたままとなっている。
(3) インドは独立後長期にわたり旧ソ連と深い経済関係を有してきたが、旧ソ連の崩壊によりバーター貿易が低迷したこと、更に湾岸危機を機に原油価格が高騰し、同時に中東への出稼ぎ労働者からの外貨送金が低迷するなどの要因が重なり、91年には深刻な外貨危機に陥った。こうした経済困難への対応を契機として、この時期に発足したラオ(コングレス党)政権により経済自由化路線への転換が図られた。
 この自由化路線は、外資の導入等を中心に段階的に推進されている。結果として、91年度に0.8%に落ち込んだ実質GDP成長率は、93年以降の工業生産の回復、好調な農業生産(88年以降9年連続で良好なモンスーンに恵まれたことが主因)により、94年度から3年間7%台の成長を達成した。以降はやや減速したが、5~6%台の成長を維持している。経済自由化は現在のヴァジパイ政権によっても推進されており、同政権は「第二世代の経済改革」に積極的に取り組んでいる。
(4) 我が国とインドは伝統的に友好関係にあり、要人・民間ミッションの往来や日印間の定期協議等の開催による頻繁な政治・経済対話を通じ、両国関係は一層緊密化している。98年5月のインドによる核実験に対し、我が国は経済措置をとったが、二国間ハイレベルの対話は継続してきている。99年11月にはシン外相、2000年1月及び6月にはフェルナンデス国防相が訪日し、2月には橋本外交最高顧問・元総理がインドを訪問した。また同年8月には、日本の総理としては10年振りに森総理がインドを訪問した。
 インドと我が国の貿易は、近年増加傾向にあり、99年には、インドにとり我が国は輸出先として第5位、輸入先としても第5位の地位を占めている。
 我が国のインドに対する投資実績(財務省届出ベース)は、91年以降の経済自由化の流れの中で、93年度の約39億円から96年度約247億円、97年度約532億円へと急速に増大したが、98年度は約329億円、99年度は約232億円となっている。91年から99年までの我が国の対印投資額(許認可ベース)は約910億ルピーとなり、インドに対する投資国として米国、モーリシャス、英国、韓国に次ぐ地位を占めている。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
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