[6]トゥヴァル

1.概  説

(1) 1978年に英国より独立し、英女王を元首とする立憲君主国家となった。89年12月の総選挙でパエニウが新首相に就任したが、93年の総選挙ではラタシ政権が誕生、その後、96年12月に内閣不信任決議案が通過してパエニウが首相に返り咲いた。98年3月の総選挙の後、パエニウ首相は再任されたが、99年4月、内閣不信任案可決により辞任し、イオナタナが首相に就任した。
(2) 外交面では、西側諸国との友好関係維持・強化を基調としている。地域国際機関(SPF、PC)には独立以来加盟している。当面の課題は、隣国ナウルの燐鉱石の枯渇に伴い失業し帰国する多くのトゥヴァル人の再就職問題であり、政府は豪州等に対し移民受入れを訴えているが解決の目途は立っていない。
 海抜の低いトゥヴァルにとって最大の関心事である地球温暖化による海面上昇問題については、98年12月の気候変動枠組条約第四回締約国会議(COP4)にも代表を参加させ、各国に問題の重要性を訴えるなど、小島嶼国の代表格として積極的な働きかけを行った。なお、2000年9月、国連加盟が実現した。
(3) 経済面では、コプラ(乾燥したやしの実)以外には見るべき産業はなく、主な国家収入源はコプラ輸出、海外出稼ぎ者の本国送金、政府による切手輸出販売である。95年8月には政府支出抑制、輸出事業の開拓、インフラ整備、教育の充実等を重点項目とする国家開発戦略(95~98年)を公表したが、国家規模は小さく、注目に値する資源もないため、経済的自立実現は非常に困難な状況にある。
 トゥヴァルは英国の財政援助が削減されること等を理由に、87年、英国、豪州、ニュー・ジーランドよりの拠出金を主体として、我が国及び韓国の拠出金も加えた「トゥヴァル信託基金」を設立し、基金の利子を政府経常予算に充てる方策を講じた。この基金は順調な発展を続け、その運用益は98年で国家財政(約8百万ドル)の約18%(約1.4百万ドル)を賄っており、経済発展及び国家運営に大きな貢献をしている。
(4) 我が国との関係は従来稀薄であったが、近年徐々に交流が進展しつつある。97年10月にパエニウ首相が日・SPF首脳会議出席のため来日し、また、97年12月のCOP3の直前に、パエニウ首相が再度訪日し、地球温暖化による海面上昇問題についての小島嶼国の立場を訴えた。更に、98年8月、我が国は長谷川前駐豪大使を団長とする政策対話ミッションをトゥヴァルに派遣し、両国間の対話の促進に努めた。2000年4月、太平洋・島サミット出席のため、イオナタナ首相が訪日した。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

 LLDCであるトゥヴァルは、人口約1万人(90年、トゥヴァル政府統計)と国家規模が非常に小さいこと、海洋資源(水産資源及び鉱物資源)の開発に努力していること等を踏まえ、水産分野を中心に無償資金協力を行っている。
 技術協力については、研修員受入れを中心に実施しており、専門家の派遣実績もある。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績

DAC諸国、ODA NET
国際機関、ODA NET
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)99年度実施草の根無償資金協力案件
(参考2)トゥヴァル信託基金(Tuvalu Trust Fund:TTF)の概要

1.87年6月、本件基金設立協定がトゥヴァル、豪州、ニュー・ジーランド、英国の間で署名された。
2.我が国よりは、UNDP太平洋島嶼国特別基金(87年設立、総額200万米ドル)の中から本件基金に50万米ドルを拠出した(87年12月)。
3.本件基金は次の目的のためトゥヴァル政府によって使用される。
(1) 英国の財政援助削減の埋合わせ
(2) 諸プロジェクトの維持、管理費の補填。
(3) 収益の使用は最小限に留め、可能な限り基金への再投資に充てる。
4.拠出、運営手続き等は次のとおり。
(1) 各拠出国は投資形態を選択できる(例:国債、有価証券等)。
(2) 基金からの脱退はトゥヴァル政府及び全拠出国の合意によってのみ許可。
(3) 拠出国はトゥヴァル政府予算にアクセスし、助言を行うことができる。また必要に応じ基金運営をモニターするための年次会合を開催する。

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