[16]リトアニア

1.概  説

(1) リトアニアは、91年9月にソ連からの独立を達成した。96年の総選挙では、与党民主労働党が大きく後退し、保守党、キリスト教民主党及び中央同盟の連立によるヴァグノリュス政権が成立し、ブラザウスカス大統領(民主労働党)の下、前政権同様EU、NATOへの加盟を目指すとともに、内政で引き続き経済改革に取り組んだ。98年1月、アダムクス大統領が選出され、第二次ヴァグノリユス政権が発足したが、99年5月にはヴァグノリュス首相は大統領との確執から辞任し、6月パクサス・ヴィルニュス市長を首班とする新連立政権が成立した。その後10月、パクサス首相は国営精油会社株式の米国企業への売却問題を巡り大統領と対立したことから、首相を辞任し、11月にクビリウス議会第一副議長を首班とする二党連立政権(保守党・祖国同盟、キリスト教民主党)が発足した。
(2) 経済面では、農業、繊維、加工食品、木材加工等が主要産業である。ソ連からの独立後、リトアニアは民営化等の経済改革を実施し、市場経済体制推進を図っている。他のバルト諸国に比べその進展が遅れていたが、96年には物価上昇率が前年比15%と大幅に改善され、経済成長率は94年からプラスに転じた。貿易については、95年1月に、EUとの自由貿易協定が発効し、西側との貿易が年々増加傾向にある。現在の主要貿易相手国はロシア、ドイツ等となっている。
(3) 外交面では、政治、経済、安全保障での欧州への統合のため、EU加盟とNATO加盟を希望するとともに、バルト諸国をはじめとする近隣諸国との友好関係の維持に努めている。98年1月にワシントンで「米国、エストニア、ラトヴィア、リトアニア間のパートナーシップ憲章(いわゆる米・バルト憲章)」に調印した。この憲章は、米国がバルト三国の防衛に法的義務を負うことを保証するものではないが、バルト三国のNATO加盟に対する熱意を歓迎するとしている。EU加盟交渉については、2000年2月に開始された。ロシアとの関係では、エストニア、ラトヴィアとは異なりロシア語系住民の比率が低く、ロシア語系住民を巡る問題はない。
(4) 我が国との関係では、96年1月ビルジスキス運輸相、97年5月にブラザウスカス大統領、99年3月にサウダルガス外相が訪日している。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) 我が国は、リトアニアが民主化、市場経済化へ積極的に取り組んでいること、我が国との関係も良好で、かつ、近年着実に進展していることを踏まえ、これまで旧輸銀による世銀及び欧州復興開発銀行との協調融資及び種々の招聘等の非ODAスキームによる支援を実施してきている。
(2) 96年度からリトアニアは、我が国の有償資金協力、技術協力の対象国となり、96年10月には経済協力政策協議が行われ、先方から金融市場、健康保険制度、下水処理プラント、クライペダ港の再開発等についての要望があった。技術協力として、96年度から研修員受入れ、98年度から専門家派遣が開始され、97年度には環境保全、鉱工業分野で開発調査も実施している。また、97年には文化無償協力が実施されている。

3.政府開発援助実績

年度別・形態別実績
(参考)99年度実施開発調査案件
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