(1) ラトヴィアは、1991年9月、ソ連からの独立を達成した。99年7月にはシュチェーレ前首相率いる中道右派政権が成立したが、2000年4月、民営化と民営化公社委員長の任期を巡り総辞職した。同年5月に連立4党のベルジンシュ政権が成立し、同政権は前政権同様、EU加盟に向けた改革の促進を目標として掲げている。99年7月には、バルト諸国の中で初めての女性大統領であるヴィーチェ・フレイベルガ大統領が選出された。
(2) 経済面では、ラトヴィアは木材加工、輸送機器、軽工業製品、加工食品などの製造業を主要産業としている。独立後、IMFの勧告に沿って経済改革を進め、価格の自由化、農産物に対する補助金の撤廃等の措置が採られ、92年に960%に達していたインフレ率は93年には35%に下がり、94年にはGDP成長率が独立後初めてプラスに転じた。95年に入って銀行危機が顕在化し、国内最大のバルチヤ銀行を含む10行が破産宣告を受けたことから、経済全体に悪影響が及び、成長率は再びマイナスとなった。95年12月に成立したシュチェーレ内閣は中央銀行とともに金融機関に対する引き締めを行い、経済は回復を見せ、96年のGDP成長率も2.8%となった。しかし、98年3月以降は、対ロ関係の悪化及びロシア経済危機の影響を受け、99年にGDP成長率が0.1%となる等成長には鈍化の傾向が見られる。
貿易は94年に入超に転じ、95年以降貿易収支の赤字を記録している。95年のEU諸国との自由貿易協定発効後、EU諸国との貿易が飛躍的に拡大しており、主要貿易国としてはEU諸国が輸出の68%、輸入の53%(2000年4月)を占めている。
(3) 外交面では、政治、経済、安全保障での欧州への統合のため、EU加盟とNATO加盟を希望するとともに、バルト諸国をはじめとする近隣諸国との友好関係の維持に努めている。98年1月に、ワシントンで「米国、エストニア、ラトヴィア、リトアニア間のパートナーシップ憲章(いわゆる米・バルト憲章)」に調印している。この憲章は、米国がバルト三国の防衛に法的義務を負うことを保証するものではないが、バルト三国側のNATO加盟に対する熱意を歓迎するとしている。EU加盟交渉については1998年3月より開始された。99年2月には、WTO(世界貿易機関)の加盟国となった。対ロシア関係の大きな課題は、全人口の約3割を占めるロシア語系住民への国籍付与問題及び国境画定問題である。ロシア政府からのロシア語系住民に対する人権侵害の批判に対しては、98年10月にOSCEの勧告を基に国籍法改正を行い、社会統合に取り組んでいる。国境画定問題については、国境画定案は確定したが、署名に至っていない。
(4) 我が国との関係では、96年7月ビルカフス外相、98年2月サウスニーティス経済相、同年12月ウルマニス大統領が訪日している。