[10]ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

1.概  説

(1) 旧ユーゴースラヴィアを構成していたボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいては、ムスリム系住民(44%)、セルビア系住民(31%)、クロアチア系住民(18%)が文字通り混在している。1991年にスロヴェニア、クロアチアが相次いで旧ユーゴーから独立した状況下で、ムスリムとクロアチア系住民は、旧ユーゴーからの早期独立を図るため、92年2月住民投票を実施したが、セルビア系住民がこれをボイコットしたため、独立賛成票は6割に止まった。この結果、民族間の対立状況が著しく悪化し、同年4月サラエヴォで発生した戦闘は、たちまちボスニア全土に拡大していった。セルビア系住民勢力は、旧ユーゴースラヴィア連邦軍からの支援もあり、ムスリム、クロアチア系住民側を圧倒し、短期間のうちに全土の7割を支配するに至った。
 92年5月及び93年6月、国連安保理はユーゴースラヴィア(セルビア及びモンテネグロ)に対する制裁決議をするなど、セルビア系住民側に圧力を加えた。しかし、その後様々な国際的な取り組みにも拘わらず、武力攻勢を抑えることは出来ず、95年8月からNATO空軍によるセルビア系住民勢力軍事目標、橋梁、通信網等に対する大規模空爆が実施(9月20日まで)された。
(2) こうした軍事力行使の効果もあり、95年10月ボスニア全土における全面停戦が実現し、11月米国オハイオ州デイトンで紛争当事者首脳を集め和平交渉が行われ、デイトン合意が成立した。合意は、単一国家としての存続、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内における「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」(ムスリム系住民とクロアチア系住民が主体)とセルビア系住民主体の「スルプスカ共和国」の二つの政体の領土比率の決定などを内容とするとともに、和平履行の民生面を担当する機関として上級代表が設置することが謳われた。これを受け、パリ和平会議(95年12月)においてボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、ユーゴースラヴィアが包括和平協定に正式署名したことにより、約4年にわたる旧ユーゴー紛争は一応終息した。
(3) ボスニアの和平履行プロセスでは、95年12月ロンドンにおいて我が国を含む44カ国及び世銀、IMF等の国際機関が参加する和平履行会議が開催され、民生部門における国際社会の支援についての枠組みが決定された。96年4月、ブラッセルでボスニア支援国会合が開かれ、96年分の復旧・復興のために必要とされている総額18億ドルの支援の目途がついた。96年6月と12月に開催された和平履行評議会(PIC)では、和平プロセスのレヴューにおいて当事者による十分な取り組みが見られず、97年5月のPIC運営委員会閣僚級会合において、当事者による民生面での和平履行への消極的姿勢に対しての強い懸念、不満が表明され、その「政治宣言」において、国際社会の支援に係る「政治的コンディショナリティ(注)」が一般原則として再確認された。
(4) 97年1月、共同国家機構(中央政府等)が成立したが、和平履行は遅れがちであったため、97年12月和平履行評議会ボン会合において、ボスニア当局が必要な合意を行えない場合には上級代表が拘束力のある決定をとることができるようにその権限が強化された。また、スルプスカ共和国において新たに成立した政権は国際社会との現実的な協調路線をとっていることもあり、98年に入り、和平履行は一定の進展を見せたものの、上級代表の権限に負うところが多く、当事者の主体的な努力はほとんど得られていない。98年12月マドリッドで行われた和平履行評議会では、当事者に対し、国際社会の関与がいつまでも続くものではないことが強調され、また、難民帰還や中央国家機構の強化等、政治経済自立のための課題が指摘された。
(5) 1999年に新たに上級代表に就任したペトリッチ氏(前駐ユーゴー・オーストリア大使)は、和平履行における重点分野として、「経済改革」、「難民・避難民帰還」及び「中央政府機構の整備・強化」の3点を挙げるとともに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの各当事者自らが当事者意識を持って積極的に和平履行に取り組むべき旨強く訴えている。また、難民・避難民帰還に関しては、国際社会の努力もあり、1999年には、約33万人の難民・避難民が帰還するなど、一定の進展が見られた。また、民族融和の象徴である首都サラエヴォへの帰還に関しても、同年、国際社会の当初の目的であった約2万人の非ムスリム住民の帰還が実現した。2000年4月に実施された市町村議会選挙では、ムスリム地域において、これまで支配的だった民族主義政党が後退し、非民族主義・多民族政党が躍進した。2000年11月には国政選挙が実施されたものの新政権は未だ樹立されていない。
(6) 国内経済は依然として困難な状態にあり、正常な経済運営はなされておらず、国際社会の支援に頼っている状況である。更に、膨大な対外債務や60%を超える高い失業率等、深刻な問題に直面している。
(7) 我が国はデイトン合意の成立を受け、96年1月にボスニア・ヘルツェゴヴィナを国家承認している。


(注) デイトン合意の遵守が、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの復旧・復興支援を実施する前提条件となること。


(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) 旧ユーゴー問題は、欧州が主要な役割を果たす中で、国際社会が協調して取り組むべきグローバルな問題であるとの観点から、我が国は主として民生部門において応分の貢献を行ってきており、紛争発生当初より95年11月のデイトン合意までの間に、人道・難民支援を中心に約1.8億ドルの支援を実施してきた。
(2) ボスニア・ヘルツェゴヴィナの復旧・復興支援については、デイトン合意の成立を受け、96年2月に経済協力政策協議を実施し、医療、上下水道分野等で優良な案件形成に向けて積極的な取り組みを行った。
(3) 96年3月には、紛争により影響を受けた経済の建て直しを早期に図ることが和平を促進する上で重要との観点から、他の援助国に先駆けて25億円のノンプロジェクト無償資金協力を供与するとともに、4月に開催された第2回ボスニア支援国会合においては、96年分の復旧・復興支援として少なくとも1.3億ドル、96~99年の4年間で5億ドル程度の支援を行う方針を表明した。
(4) 97年7月に開催された第3回ボスニア支援国会合においては、我が国は前年と同程度の1.3億ドルまでの支援を、98年5月の第4回及び99年5月の第5回ボスニア支援国会合においても復興・復旧支援を供与する用意がある旨表明した。
(5) 98年4月、今後の経済協力の方針について政策協議を実施し、98年8月には対人地雷除去、被災者支援分野での協力の可能性を探るため、プロジェクト形成調査団を派遣、2000年6月には地雷除去に対する無償資金協力を実施した。また、技術協力は96年度より研修員の受入れを中心に実施しているほか、市民生活の再建に資する案件、経済復興に貢献するインフラ事業を中心に98年から開発調査を実施している。更に、98年9月には、世銀との協調融資の下、初の円借款として約41億円の電力セクター復興支援を行っている。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) 年度別・形態別実績
(参考1)99年度実施開発調査案件
(参考2)99年度実施草の根無償資金協力案件
前ページへ 次ページへ