[9]ブルガリア

1.概  説

(1) 1989年、ジフコフ共産党書記長退陣とともに民主化改革を開始し、91年7月に民主的な新憲法を採択した。その後新憲法に基づく国民による選挙が実施されており、政治面における民主化は定着している。89年以降、政権は社会党(旧共産党)と民主勢力同盟(UDF、非共産党勢力)との間で頻繁な交代が見られる。急激な経済悪化に対する国民の不満を背景に、96年11月の大統領選挙ではUDFのストヤノフ大統領が当選した。また、97年5月には、UDFを中心とするコストフ政権が成立している。
(2) 経済面での改革は他の中・東欧諸国に大きく立ち後れ、依然として市場経済への移行途上にある。元来農業国であるが、共産主義経済圏にあって重工業化が図られた。新体制移行後は農地細分化などにより農業生産は低迷している。91年2月から本格的な市場経済移行のための改革として価格、為替レートの自由化、金利引上げ、緊縮財政、所有権の復活、国営企業の民営化を中心とする構造改革等を実施し、経済は94年にわずかながらプラス成長に転じ、インフレ率や失業率等の指標にも好転の兆しが見られたが、96年5月より、赤字国営企業の未整理、銀行の倒産、外貨不足等を背景に通貨レフの急落、物価の大幅な上昇、基本物資の不足等が生じ、96年経済成長率が-10%になるなど、大きな困難に直面した。こうした状況の中、コストフ政権はIMFの構造調整政策を受け入れ、全国営企業を対象に民営化を推進するなどの経済改革を進め、97年7月には、独マルクとリンクさせた為替の固定相場制を導入するなどの金融安定化策をとった。その結果、98年にインフレ率は大きく低下し、経済成長率はプラスに転じた。しかし99年に入りコソヴォ危機の影響で西欧への輸送路が絶たれ、また、外国からの直接投資が大幅に減少する等、再び困難に直面した。
(3) 外交面では、「欧州への統合」が最大の目標であり、特にNATO及びEUへの加盟を重視している。EU加盟については、99年12月、ヘルシンキ欧州理事会においてブルガリアを含む加盟申請6カ国をEU加盟交渉開始国とすることが決定され、2000年2月にEU加盟交渉が公式に開始された。99年1月からCEFTA(中欧自由貿易協定)の加盟国となった。一方、エネルギーの約7割を輸入しているロシアとの良好な関係の維持も重要な位置を占めている。
(4) 我が国とは伝統的に良好な関係を維持しており、毎年のように閣僚クラスの要人が訪日している。97年11月にはストヤノフ大統領が国賓として訪日した。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) ブルガリアが民主化及び市場経済の定着に努力しているにも拘わらずなお経済困難にみまわれていること、また、90年7月にG24の支援対象国に含められたこと等を踏まえ、G24の枠組の中で援助国、国際機関等と協調しつつ、緊急無償援助、食糧援助等を実施したほか、技術協力を中心に無償資金協力、有償資金協力を行っている。97年10月には経済協力政策協議を実施した。また、99年12月には、プロジェクト確認調査団を派遣し、援助重点分野、今後の援助の方向性等について意見交換を実施した。最近では、市場経済の定着、環境対策、経済インフラ整備の分野に重点が移ってきている。
(2) 無償資金協力では、90年度に、WFPを通じ食糧援助を実施したほか、文化無償を91年度から開始、文化施設等に対する機材供与等を実施している。また、99年6月、コソヴォ危機の影響で経済困難に直面する中で経済構造改革努力を続けているブルガリアに対し、5億円のノンプロジェクト無償資金協力を実施することとした。
 技術協力は91年度より本格的に開始され、生産管理、環境保全、農業、経営管理等の分野を中心に研修員を受け入れており、産業政策、企業経営分野等で専門家派遣を行っているほか、環境保全、市場経済化支援を中心とする開発調査も実施している。92年度には、青年海外協力隊の派遣を開始、95年度には同国初のプロジェクト方式技術協力を開始したほか、現在は「醗酵乳製品開発計画」を実施中である。また、99年より、市場経済化促進支援の一環として産業政策分野での重要政策中枢支援を開始した。
 有償資金協力は95年度に「エリセイナ地域産業公害改善計画」、「プロブディフ地域産業公害改善計画」の2件に対し円借款を供与した他、97年度には「ブルガス港拡張計画」に対する円借款を供与している。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) 年度別・形態別実績
(参考1)99年度までに実施済及び実施中のプロジェクト方式技術協力案件
(参考2)99年度実施開発調査案件
(参考3)99年度実施草の根無償資金協力案件
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