[7]チェッコ

1.概  説

(1) 89年のチェッコ・スロヴァキアにおける民主革命により共産党の独裁体制が終焉。93年1月、スロヴァキアと分離、独立した。独立後は、クラウス市民民主党(ODS)党首を首班とする中道右派連立内閣の下、内政は安定し、経済改革も順調に進んでいるかに見えたが、97年、経済状況の悪化を背景にクラウス内閣が総辞職した。その後実務者から成るトショフスキー内閣を経て、98年6月に繰り上げ選挙を実施した結果、社会民主党(CSSD)が第一党となり、ODSの協力を取り付け、同年7月にゼマンCSSD内閣が成立した。
(2) 外交面では、「欧州への回帰」を目指し、95年12月に旧共産主義国で初めてOECD加盟を実現、また、99年3月にはNATOへの加盟が実現した。EUとの関係では、98年3月から加盟交渉が続けられている。
(3) 経済面では、クラウス内閣の下で緊縮的なマクロ経済安定化政策が進められ、94年に経済成長率がプラスに転じ、95年4.8%、96年4.1%の成長率を記録した。インフレ率、失業率も比較的低い水準にあり、旧共産主義国の中では改革先進国と見られていた。
 しかし、97年に入り経済は転機を迎え、特にドイツの景気停滞の影響を受けた工業生産が落ち込み、貿易収支赤字が増大した。政府は財政支出削減と賃金抑制を柱とする内需抑制策を導入したが、過去5年にわたり安定的に推移した通貨コルナは急落し、同年5月に変動相場制へ移行した。チェッコ経済は、強い引き締め策の副作用により、98年第一四半期以降5四半期連続のマイナス成長という深刻な不況に陥ったが(99年GDPは対前年比-0.2%)、輸出の拡大等によりチェッコ経済は回復しつつある(2000年第一四半期GDPは対前年同期比4.4%)。経営不振に陥った旧国営大企業のリストラ、大銀行のリストラ及び破綻した大銀行の処理等が今後の課題となっている。
(4) 95年12月ハヴェル大統領、96年9月クラウス首相、97年12月ピトハルト上院議長、99年5月カヴァン外相が訪日している。我が国からは96年10月には清子内親王殿下が、97年8月には池田外務大臣(当時)、斉藤参議院議長(当時)が同国を訪問した。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) 90年7月のG24閣僚会議においてチェッコ・スロヴァキア支援の決定がなされたこと、分離独立後もチェッコは民主化、市場経済への移行を図っていること等を踏まえ、市場経済への移行支援等を主たる目的として、研修員受入等の技術協力を中心に支援を行っている。
(2) 無償資金協力については、91年度から文化無償を開始し、2か国に分離した後も文化無償の供与を行っている。96年度には、チェッコ柔道連盟に対し、柔道の機材購入のための文化無償を供与した。また、97年7月、同国の洪水被害に対し、20万ドルの緊急無償援助を実施した。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) 年度別・形態別実績
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