(1) エストニアは、1991年9月ソ連からの独立を達成した。95年の総選挙では連合党及び地方人民同盟の選挙連合(中道左派)のヴァヒ元首相が首相に返り咲き、96年の大統領選挙では現職のメリ大統領が再選を果たした。しかし、97年、ヴァヒ首相の辞任後、シーマン政権が成立したが、世論の支持が低迷し、99年3月に行われた総選挙の結果、ラール祖国党党首が改革党、穏健党との連立政権を組織した。
(2) 経済面では、農業の他、木材加工、繊維、加工食品、軽機械などの製造業が主要産業である。一方、近年は運輸・通信、金融等を中心に拡大を続けている。エネルギー関連ではオイル・シェールを産出し、一定の自給力を有している。91年の独立以前から始まっていた自由化、民営化など経済改革の動きは独立後加速され、92年にほとんど全ての小売価格が自由化され、GDPと雇用のそれぞれにおける民間部門の割合は5割を越えた。
また、財政収支の均衡や通貨の安定等を背景とし、99年にはインフレ率は3.3%にまで低下した。通貨クローンの安定は投資家の信頼を得て、国営企業の民営化も順調に進んでいる。GDPは、94年に4.7%のプラス成長に転じて以来、プラス成長を保っている(98年4%)。従来ロシアに大きく依存していた貿易も、近年は北欧諸国を中心とした西側諸国との貿易の比重が高まり、99年の対ロシア貿易は全輸出の9.2%、全輸入の13.5%である。
(3) 外交面では、政治、経済、安全保障での欧州への統合のためEU加盟とNATO加盟を希望するとともに、バルト諸国をはじめとする近隣諸国との友好関係の維持に努めている。97年7月欧州委員会は「アジェンダ2000」の中で新規加盟交渉を開始すべき国として、バルト三国の中からはエストニアを唯一選出した。これは、バルト三国の中でも最も経済改革の進んでいる国としてエストニアが評価された結果である。エストニアは98年3月にEUとの加盟交渉を開始している。一方、98年1月にワシントンで「米国、エストニア、ラトヴィア、リトアニア間のパートナーシップ憲章(いわゆる米・バルト憲章)」に調印した。この憲章は、米国がバルト三国の防衛に法的義務を負うことを保証するものではないが、バルト三国のNATO加盟に対する熱意を歓迎するとしている。また、99年11月には、WTOに加盟した。
対ロシア関係で大きな課題は、住民の約3割を占めるロシア語系住民への国籍付与問題及び国境画定問題である。ロシア政府からのロシア語系住民に対する人権侵害の批判に対しては、最近エストニア政府はOSCE(欧州安保協力機構)の勧告を受け入れるなど少数民族の社会統合に積極的な態度を見せている。ロシアとの東部国境地域(エストニア領土の5%)をめぐるロシアとの国境問題については、96年末に国境協定が一度合意され、99年3月に仮調印を行った。
(4) 96年3月カラス外相、同年12月レイマン経済相、97年3月メリ大統領、98年2月シーマン首相が訪日している。