(1) ウクライナは、91年8月24日にソ連邦からの独立を宣言し、同年12月のソ連解体とともに独立国家となった。99年10月の選挙で再選された改革派のクチマ大統領は、IMF等国際金融機関と協調路線による経済改革を続行しており、省庁統廃合をはじめとする行政改革にも本格的に着手した。99年12月には改革派のユーシェンコ元中央銀行総裁が首相に就任した。2000年3月には、従来から保守傾向の強かった議会内に大統領派の多数派が結成されるとともに改革派のプリューシ新議長が就任、新議長の下で改革志向の議会運営が行われている。2000年4月には、大統領の権限強化を目指す国民投票が行われ、国民の大多数が大統領の提案を支持した。
(2) 経済面では、農業、鉄鋼業が産業の柱である。エネルギーは輸入に頼っており、特に供給の大半を依存するロシアに対してはエネルギー債務問題が深刻である。また、輸入、輸出ともに主要相手国はロシアである。98年夏のロシアの金融危機の影響でウクライナ経済は大きな打撃を受け財政赤字や国際収支悪化の問題が深刻化しているほか、賃金・年金未払い等の問題も恒常化している。しかし、2000年には経済成長率が初めてプラスに転じる傾向にあり、民営化、産業構造改革等も緩やかなテンポながらも進んでいる。
(3) 西側諸国は、ウクライナに対し、経済改革、非核化、原発の安全性向上等の面での支援を継続している。経済改革については、ウクライナの積極的な改革路線を評価、その努力を支援している。非核化についても、先進諸国はソ連から残された核兵器の移送・解体を支援し、96年6月には全ての核兵器の移送・解体が終了した。更に、原発の安全性については、2000年6月、ウクライナは、95年にG7とウクライナとの間で作成されたチェルノブイリ原発閉鎖に関わる支援に関する覚え書きに基づき、2000年12月15日にチェルノブイリ原発の閉鎖を決定したと発表した。
ウクライナは欧州経済への統合を目指して、EU加盟を最終目標としており、94年には「EUとの提携友好条約」が調印された。95年には欧州評議会への加盟も認められた。
また、ウクライナは独立後、ロシアとの間に一線を画した独自路線の政策を進めているが、エネルギー債務等を巡る深刻な問題もあり、対ロシア関係は依然重要である。
(4) 96年7月に池田外務大臣(当時)がウクライナを訪問、95年3月にクチマ大統領、97年5月及び98年3月にはウドヴェンコ外相が訪日している。2000年6月にはタラシュク外相が故小渕前総理葬儀出席のため訪日した。