[10]ラオス

1.概 説

(1) ラオスは、86年に「新思考」政策を唱えて以来、従来の親ヴィエトナム、親ソ路線を修正し、ヴィエトナムとは「特別な関係」を有するとしつつも、全方位外交を行っている。一方、経済改革を進め、市場原理導入等の経済開放化政策(「新経済メカニズム(NEM)」)を推進している。また、91年には憲法採択、92年及び97年には国民議会選挙が行われるなど、民主化も進んでいる。また、近年は、タイ、中国等近隣諸国との関係の強化、西側諸国との対外関係拡大にも努力しており、97年7月にはASEAN正式加盟を果たした。
(2) 内陸国という地理的条件と、長期間にわたった過去の内戦の影響により経済発展は遅れており、国民一人当たりのGNPは400米ドル(97年度)と後発開発途上国(LLDC)である。かかる中、同国は、開放政策の下、市場経済メカニズムの積極的な導入を通じて経済の活性化に努めてきており、94年には実質経済成長率8.1%を達成し、インフレ、為替レートとも比較的安定していた。
 しかし、97年7月に始まった経済危機の影響により、通貨キープの対ドルレートが急激に下落したことに加え、従来から存在していたインフレ懸念とキープ貨の減価圧力が拡大した結果、輸入品への依存度が高いラオスにおいては、国内経済への影響も大きくなってきており、99年の実質経済成長率は4.0%となった。また、財政赤字・貿易赤字の構造的問題も依然として解消しておらず、外貨収入や税収の増大による赤字の解消が課題となっている。更に、ASEAN加盟と同時にASEAN自由貿易地域(AFTA)にも加盟し、2005年までに関税率を引き下げることが義務付けられたため、同国の大きな財源となっている関税収入の代替財源の確保が急務になっている。
 主要産業は農林業(米、豆、木材等)で、国内総生産の三分の二以上を占めており、人口の80%以上が従事している。その他の主要産業は森林加工業、水力発電等に限られている。
(3) 96年3月の党大会において政府は、1996年から2000年までの5カ年計画(年率8~8.5%の成長達成、一人当たり所得を500ドルに増大させる等)や、2020年までにLLDCからの脱却を目指した長期開発計画を掲げるとともに、これまでの経済改革・開放路線の継続を決定した。
(4) 我が国との関係では、89年に、ラオスの最高指導者であったカイソーン首相(当時)が、初めての先進諸国訪問として訪日し、90年には中山外務大臣(当時)がラオスを訪問した。 
 92年にはヌーハック最高人民議会議長(現人民革命党顧問)が、95年にはカムタイ首相(現大統領)が、それぞれ訪日したのに続き、99年には皇族として初めて秋篠宮同妃両殿下、また、2000年1月には現職の総理として33年振りに小渕総理(当時)のラオス訪問がそれぞれ実現し、要人往来は活発化してきている。
 我が国の対ラオス貿易は一貫して我が国の輸出超過であり、我が国からの輸出品は、一般機械、トラック、自動車、鉄鋼製品等であり、我が国の輸入品は主として木材である。
 また、我が国の同国への直接投資は、全般的に低調であり、全投資の0.17%程度に過ぎない(タイが電力部門に大型投資を行っており、全体の45%余りを占めている)。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
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