[3] カンボディア

1.概 説

(1) 1970年以降内戦が続いたカンボディアにおいては、91年10月のパリ和平協定署名を経て、93年5月に制憲議会選挙が実施され、同年9月に新生カンボディア王国が誕生した。王国政府は国の再建に向けて当初順調な滑り出しを見せたものの、次期選挙(98年)が近づくにつれて二大政党であるフンシンペック党(ラナリット第1首相:当時)と人民党(フン・セン第2首相:当時)の確執が高まり、弱体化するクメール・ルージュへの対応を巡って両者の対立が更に激化した結果、97年7月首都プノンペンで武力衝突が発生した。
(2) その後カンボディア政府自身の努力に加え、4項目提案を行った我が国をはじめとする国際社会の事態打開への努力が実を結び、98年7月に無事総選挙が実施された。同選挙は日本を含む国際監視団から「概ね自由・公正」と評価され、その結果11月にフン・セン首相を首班とする新政府が成立した。これにより、同年12月に、空席化されていた国連代表権が回復されるとともに、99年4月にASEAN正式加盟が実現する等、国際社会との関係が正常化した。更に国内では、反政府組織クメール・ルージュの完全な崩壊により内政の安定度が高まっており、現在、国の復興と開発を進める上でこれまでにない良好な環境が生まれている。
(3) カンボディアは一人あたり国民所得が260米ドル(98年・世銀資料)、UNDP人間開発指標で第136位(174カ国中、2000年)に位置する後発開発途上国(LLDC)の一つである。主要産業は農林水産業であり、就労人口の77.5%、GDPの約43%を占めている(98年)。
 60年代には食糧自給を達成し、米やゴムの輸出を行っていたが、70年代以降の長期にわたる内戦と混乱、とりわけポル・ポト(クメール・ルージュ)政権下における恐怖政治により国土は大きく荒廃した。91年の和平達成以降、国際社会の支援を得て国の再建が本格化し、94年から96年にかけて平均6.3%のGDP成長率を達成した。しかしながら、97年7月の武力衝突及びアジア経済危機により外国援助や投資が急激に減少して経済が悪化、97年及び98年のGDP成長率はそれぞれ3.7%、1.8%に落ち込んだ。
(4) かかる中、98年11月に発足した新政府は自らを「経済政権」と銘打ち、税制、森林管理、兵員削減、行政、司法、社会セクター等の分野で抜本的改革を開始、99年2月の支援国会合(於東京)にてフン・セン首相自らこれら諸改革実施に向けた強い決意を示すとともに、改革の進捗状況をモニターするため、四半期毎にドナー国とのモニタリング会合を開催する旨表明した。その後、付加価値税(10%)の導入等による財政収入の増加(対GDP比8.9%(98年)から11.6%(99年)に上昇)や森林の不法栽培の減少等、改革の初期の成果が徐々に現れる中、国内経済も少しずつ回復し始め、99年は5.0%のGDP成長率を達成した。
(5) 我が国とカンボディアの交流は古く、17世紀初めには日本人が同国のアンコール・ワット寺院に参詣している。内戦中は両国の交流は途絶えたものの、和平達成以降、両国関係は政府・民間双方のレベルにおいて全般的に拡大している。99年には2万人以上の日本人がカンボディアを訪れ、そのほとんどがアンコール遺跡を訪問した。世界遺産である同遺跡に対しては、我が国政府の遺跡救済チーム(JSA)が94年から保存・修復活動を行っている。2000年1月には、小渕総理(当時)が日本国総理として43年振りにカンボディアを訪問し、同国政府及び国民から暖かい歓迎を受けた。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
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