(1) 1982年の民政移管後、パス・エステンソロ、パス・サモラ、サンチェス・デ・ロサダの三つの政権を経て、97年6月の総選挙では、民族民主行動党が勝利し、左派革命運動党、愛国良心党及び連帯市民連合との連立によるバンセル政権が発足(その後愛国良心党は連立を離脱)した。バンセル大統領は同年11月、5カ年行動計画を発表し、機会、均等、制度化、尊厳を政策基本4原則として、雇用対策、生活基盤整備、司法改革、麻薬対策、教育改革等に取り組みながら貧困撲滅を図る意向を示した。ボリヴィア最大の社会問題である麻薬(世界第3位のコカ葉生産国)について、政府は98年1月に麻薬5カ年計画を発表し、代替開発、禁止、撲滅、防止を4本柱に、違法なコカ葉栽培地を5年間で全滅させる方針である。
外交面では、近隣諸国との関係強化を基調とする外交路線を掲げており、アンデス共同体加盟国として初めて96年12月にメルコスールとの自由貿易協定を締結した。隣国チリとの間には領土問題が存在するため外交関係は停止されており、領事関係のみに留まっている。
(2) バンセル政権は、パス・エステンソロ政権以来の自由市場経済主義に基づく構造調整政策(財政の健全化、輸出入及び外貨取引の自由化等)を維持し、マクロ経済の安定化を図りながら「国家の近代化」を推進する方針で、2002年に経済成長率7%を目指している。経済諸改革が功を奏し、近年の経済成長率は3~5%で推移していたが、99年はブラジル経済危機の影響を受け年後半より深刻な景気後退に陥り成長率は0.5%(暫定)となっている。
ボリヴィアの貿易は、錫や天然ガス等の鉱産物の輸出に特化した形態を特徴としてきたが、最近は輸出産品の多様化により、大豆、宝飾品、木材等の非伝統産品の伸びが目覚ましい。
(3) 我が国とは1914年に外交関係を開設し、伝統的に友好な関係を有している。日本人の移住は、古くはペルーへの日本人移住者がボリヴィア北部に再移住したことに始まるが、戦後は54年以降本格的に移住が進められ、現在では推定14,000人の移住者・日系人が在住している。99年6月には、日本人ボリヴィア移住百周年式典がサンタクルスで開催された。
貿易は、我が国が鉱物資源、食料品等を輸入する一方、自動車、機械等を輸出しており、我が国の輸出超過が続いている。要人往来としては、96年にサンチェス・デ・ロサダ大統領、99年にムリーリョ外相が訪日し、我が国からは99年に清子内親王殿下が移住百周年記念式典出席のためにボリヴィアを公式に御訪問されている。