[23]ハイティ

1.概  説

(1) 91年9月の軍事クーデターによりアリスティド大統領は国外退去を余儀なくされ、国内は事実上軍の支配下に置かれることとなったが、国際社会は民主主義秩序の回復のため、国連安保理決議に基づく経済制裁を実施するとともに、94年7月には、国連加盟国に対して「多国籍軍」の創設を認める国連安保理決議を採択した。米国は、軍指導部の平和裡の退陣を実現するためカーター元米大統領らの特使を同年9月に派遣し、同特使とハイティ軍指導部の間の合意を受け軍指導部はすべて出国し、10月、アリスティド大統領はクーデター以来3年ぶりの帰国を果たした。また、退陣の合意を受け派遣された多国籍軍は、95年3月に国連ハイティ・ミッション(UNMIH)に治安維持等の任務を引き継いだ。97年11月国連安保理において、UNMIHの活動を終了し新たに国連ハイティ文民警察ミッション(MIPONUH)を設立する決議が採択され、98年11月及び99年11月にMIPONUHのマンデートが延長され、2000年3月に活動を終了し、ハイティ国連文民支援ミッション(MICAH)にその任務を引き継いだ。
 94年、民主体制復帰後初めての選挙として議会・地方選挙がOAS(米州機構)を主体とする選挙監視の下実施され、95年12月の大統領選挙では、アリスティド大統領の支持を得たプレヴァル候補が約88%の得票率で当選した。
 97年10月、大統領の推進する経済改革に対する反対勢力の圧力のため、スマート首相が辞任した。その後、アクレシ首相が任命され、99年3月組閣が行われた。また、97年4月、国連等の支援の下、上院改選及び下院補充選が行われたが、不正があったとして不成立となり、99年1月には上院の1/3議席及び下院の任期が終了したため、国会が機能しなくなった。3月に新選挙管理委員会が発足し、第1回投票が、再三にわたり延期された後、漸く2000年5月に第1回投票が行われ、第2回投票は同年7月に実施された。しかし、上院議員選挙にかかる第1回投票結果の算出方法がハイティ選挙法に沿っていないとして、OAS等国際選挙監視団、国連等を始めとする国際社会及び野党より非難されている。
(2) 経済面では農業が中心であるが、土壌の流出、ハリケーン等の影響、更には肥料、農具、種子不足で生産は大幅に減少した。
 ハイティの経済社会開発上の問題は、農業国であるが生産性が著しく低く、見るべき産業のない国土に多数の貧困人口を抱えていることである。更に、失業率も高く(約70%とも言われる)、社会資本、医療、食糧、エネルギー供給等が大きく立ち後れている(例:電気普及率は20%)。また、軍支配下の3年間、援助の中断を含む国際社会の制裁措置により、経済は一層疲弊した。アリスティド大統領帰国後、米国をはじめとする国際社会より経済的援助を受けているが、経済の立ち直りには時間を要し、雇用創出、インフラ整備、教育拡充等が急務の課題となっている。プレヴァル大統領は就任後の96年3月、民営化推進の意向を表明し、長期の審議を経て議会は同年9月末、民営化及び行政改革法案を採択した。それを受けて、IMFの経済構造調整融資130万ドルの実施等が決定された。しかし、IDB、世銀の3.2億ドルの借款は国会承認が得られなかった。
(3) 我が国との経済関係は緊密ではなく、特に91年9月のクーデター以降、OASによる貿易禁止措置への配慮及び96年5月の国連による制裁措置のため、我が国とハイティの貿易は大きく減少した。我が国は、アリスティド大統領帰国後の同国の民主化・経済復興を積極的に支援している。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) 91年のクーデター発生に伴い、我が国政府はこれを民主化努力に著しく逆行するものであるとして、人道的観点からの保健医療分野での草の根無償資金協力等を除き、経済協力を凍結していたが、94年10月アリスティド大統領の帰国が実現し、民主体制の回復と経済復興に本格的に取り組み始めたことに鑑み、ODAの凍結解除を決定した。
(2) 民政復帰後は、保健・医療、運輸・交通等の基礎インフラ、行政能力向上のための人造り、農業の四分野を中心に協力を行うとの方針の下、ノンプロジェクト無償、災害緊急援助、草の根無償及び一般無償の二国間援助に加え、世界食糧計画及び赤十字国際委員会の要請に基づく人道援助、ハイティにおいて活動する国際機関に対する緊急援助、国連の信託基金(ハイティ国際警察監視活動とハイティ国家警察創設に対する支援)、UNDP信託基金への拠出等により総額5,000万ドルを超える経済協力を実施した。
(3) 人的支援として、95年3月には我が国の対ハイティ援助の本格的な再開に向けた調査を行うための調査団を派遣したほか、同年6月の議会・地方選挙が同国の民主主義定着の上で重要との観点から、国連ハイティ選挙支援信託基金に対し「民主化支援無償」初のケースとして拠出を行い、更にはOAS選挙監視団に対し7名の選挙監視要員を派遣した。また、97年4月及び2000年5月に実施された全国・地方議会選挙を支援するため草の根無償資金協力を行った。民主化支援として、95年に二度にわたる「ハイティ警察行政セミナー」のほか、ハイティ人2名を含む「民主化研究セミナー」を開催、98年2月には、中南米諸国司法・治安関係若手行政官研修計画にて、ハイティ国家警察公安介入維持隊隊長補佐を我が国に招聘し、各種セミナーを開催している。また、1999年3月より開発計画の専門家を派遣している。1999年9月には、教育分野のプロジェクト形成調査を実施した。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績

DAC諸国、ODA NET
国際機関、ODA NET
(3) 年度別・形態別実績
(参考)99年度実施草の根無償資金協力案件
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