(1) カストロ政権は、共産党による一党体制を堅持しており、97年10月に開催された第五回キューバ共産党大会でも、現体制を維持することが確認された。しかし、経済面では、ソ連崩壊後の経済危機克服のため、93年より外貨所持の解禁、個人営業の一部許可、農産物市場の創設、外資導入の積極的な促進等、部分的かつ不十分ながらも市場原理に基づく一定の経済改革措置が導入されており、こうした改革措置の結果、現在、キューバでは日常生活におけるドルの流通が着実に増大しつつあり、市場経済移行への萌芽が見られるようになっている。
人権分野では、98年1月のローマ法王のキューバ訪問を契機として、宗教の自由化の面で若干の前進が見られたほか、キューバ政府は同年3月、ヴァチカンからの要請に応え、政治犯を含む約300名の囚人を釈放する措置をとった。これに対し、我が国をはじめとするEU、カナダ等が歓迎の意を表したほか、米国も2度にわたり対キューバ制裁緩和措置を発表した。しかし、未だ反体制派に対する抑圧等が報告されており、同国の人権状況そのものには大きな改善は見られない。
(2) 90年代以降、支援を依存していたソ連・東欧圏の崩壊で経済は大幅なマイナス成長を記録したが、94年以降は回復の兆しが若干見られる。その要因としては、観光、タバコ、原油生産等の成長が指摘されている。99年の経済は資金調達の困難に加え、砂糖生産の低調等のマイナス要因はあったものの、GDP成長率年6.2%を達成した。
(3) 我が国は、1929年に外交関係を開設している。貿易では、エビ、砂糖、コーヒー等を輸入し、輸送機械、一般機械、電気機械等を輸出している。98年3月、我が国民間企業団体とキューバ政府との間で、対キューバ民間延滞債務のリスケジュール交渉が妥結し、「基本合意(Basic Agreement)」が成立した。この合意により、民間債務問題は一応解決したことになる。また2000年1月には両国間の短期公的債務のリスケに係る合意も成立し、2月からは短期貿易保険が再開された。
95年にカストロ国家評議会議長、97年及び99年にはロバイナ外相等が来日し、我が国からは97年に高村外務政務次官(当時)がキューバを訪問している。98年には、日本人のキューバ移住100周年を迎えた。99年11月には、三塚博日・キューバ友好議連会長を団長とする衆議院議員団及び我が国経済界代表によるキューバ訪問が実現し、カストロ議長をはじめとする同国政府首脳と幅広い意見交換を行った。