(1) 内政面では、81年に就任したムバラク大統領は、99年9月、国民投票で大統領任期第4期目(1期6年)の信任を果たした。同大統領はサダト前大統領の開放政策(西側先進国からの資金と技術の導入)を継承し、経済発展を目指しており、99年10月オベイド「経済重視」内閣を発足させた。ムバラク政権は、野党の活動を認めて民主的議会制を運用するなど、一定の範囲で国民の政治的自由を認める方針を取っている。他方、暴力に訴えるイスラム主義過激派に対しては、徹底的な取締りを行う方針を貫いており、97年のルクソール事件以後、エジプトの治安情勢は落ち着いている。
(2) 外交面では、79年にアラブ国家として初めてイスラエルとの平和条約を締結した結果、多くのアラブ諸国がエジプトと断交した。以後、米国の軍事・経済依存の安全保障・経済開発を進めつつ、ムバラク大統領は、就任後アラブ諸国との関係修復に努め、89年5月アラブ連盟への復帰を果たした。
冷戦の終結、湾岸危機を経て、最近中東各国の指導者の世代交代が続く中、中近東域内外で多様なチャネルを有し、かつ、現実的で穏健な政策をとるエジプトの域内調整役としての重みは増している。中東和平問題ではイスラエル・パレスチナ間の累次の合意達成の過程で積極的仲介活動を展開してきた。また、第三世界の旗頭を自認し非同盟運動を当初から推進し、インド、中国等とも友好関係を維持しており、更に、アフリカ諸国の一員として、アフリカ統一機構(OAU)他の活動にも積極的に関与している。特に2000年4月の欧州・アフリカ・サミットや6月のG15サミットの主催地となり、アフリカ大陸ほかにおける南南協力の推進にも関心を示している。
(3) 経済面では、IMFと連携しつつ市場経済化に向けた経済改革を推進中であり、近年5%台の経済成長率の維持、インフレ率の安定、財政赤字の削減等マクロ経済安定策が効果を上げ、更に、公営企業の民営化、投資環境改善措置の実施により、外国企業も徐々にエジプト市場への関心を強めつつある。
現在、第4次経済社会開発5カ年計画(97/98~2001/02年)を実施中である。この計画は市場経済移行、民間活力導入を主眼とし、(下方修正を迫られているとはいえ)期間中の年平均GDP成長率の目標を6.8%とするとともに、民間投資額の目標総投資額の65~75%・国内総生産の90%以上への拡大、民間消費の年間成長率の人口成長率の倍以上の維持、就業機会・労働者所得の拡大、経済開発の国際的環境への適合等を目標としている。
国際収支は趨勢としては改善してきているが、98/99年度については、観光収入が前年比10%増加したにもかかわらず、石油をはじめとする輸出減少の影響により、経常収支は依然として17.1億ドルの赤字となった。観光についてはエジプトへの全世界からの旅行者数は99年過去最高の479万人を記録し、好調さを持続している。他方、前内閣末期から顕著になってきた外貨流出を警戒した外貨販売の制限、ポンド安圧力の高まり、外貨準備の減少並びに政府による国内債務の支払遅延からポンド流動性不足へと続く悪循環により、好調だったエジプト経済にも翳りが見え始めており、これを受け、オベイド内閣は流動性危機の克服によるエジプト経済の信頼回復に努めている。
経済社会上の課題として、依然として高い水準にある失業率、都市と農村間の格差、地域間格差、貧富の格差が存在かつ拡大しており、これらの問題の改善が挙げられ、「社会正義」の実現がオベイド内閣の取組むべき最重要テーマの一つとなっている。
(4) 日・エジプト関係は従来より良好に推移している。要人往来は90年10月海部総理(当時)が日本の総理として初めて同国を訪問して以来活発化しており、95年9月には村山総理(当時)、96年8月には池田外務大臣(当時)、99年1月に高村外務大臣(当時)が同国を訪問した。一方、エジプトからはムバラク大統領が、95年3月に続き99年4月に来日し、二国間関係発展に弾みをつけた。99年4月の同大統領訪日時に首脳レベルで発表された「日本・エジプト共同声明」の中で、両国は次世紀を平和と繁栄の世紀とするため、平和と協力、経済及び貿易投資、環境、文化交流ならびに教育及び青年・学術交流の5分野に重点をおいて対話と協力を強化し、多様化することを目的とする「日本・エジプト・パートナーシップ・プログラム」を発表した。両国貿易関係については、日本側の大幅出超が続いており、我が国はエジプトから石油、綿花等を輸入し(99年輸入額135百万ドル)、同国に一般機械、電気機械、輸送機械等を輸出している(同輸出額936百万ドル)。