(1) 内政面では、89年のラフサンジャニ大統領就任後、イラン・イラク紛争後の経済再建の実現のため、市場経済化や自由化を中心とする経済改革路線を歩んできた。97年5月の大統領選挙で、リベラルで民主的スローガンを掲げ保守派候補を大差で破り選出されたハタミ大統領が、「法の支配」「市民社会の形成」等の政治理念を掲げ、文化・社会面での自由化と国民の政治参加を促進する諸改革を推進している。同大統領を支持する改革派は、99年2月に実施された革命後初の地方評議会選挙、2000年2月、5月の国会選挙で圧勝し、改革派が過半数を占める新国会が発足した。他方、改革派の伸張に対する保守派の巻き返しが激化、改革の行方は今後も紆余曲折が予想される。
(2) 外交面では、ハタミ政権発足以降、緊張緩和を目指す対話路線が強く打ち出され、欧米諸国や革命後関係が悪化していた近隣諸国との関係改善が進んでおり、特に欧州諸国との間では、要人往来や欧州企業の経済進出が活発化している。米国との間でも関係修復の動きが見られるが、なお紆余曲折が予想される。他方、イランを巡っては、国際社会には依然として中東和平プロセス反対派への支援、大量破壊兵器開発、テロ支援、人権等を巡る諸問題に関する懸念が存在しており、懸念払拭のための更なる努力が求められている。
(3) 経済面では、2000年4月より、経済構造調整政策の推進や外資導入を内容とする第3次5カ年計画(2000~2005年)が実施されている。基礎的生活物資や石油製品等の値上げを漸進的に実施しているが、国民経済生活の安定と経済構造調整政策との間にジレンマが生じつつある。現在、施設の老朽化等に伴う原油生産量の伸び悩み及び国内消費の伸びによる原油輸出量の低下が生じており、イラン経済への制約要因となっている。なお、97年後半からの原油価格の下落は、外貨収入の約8割を石油産品輸出に依存するイラン経済を直撃したが、99年に入り原油価格が回復したことにより、対外収支は改善しつつある。
(4) イランの原油確認埋蔵量(98年現在)は897億バレルで世界の8.7%を占め、我が国にとって第3位の原油供給国である(98年シェア10.8%)。貿易関係については、我が国はイランから原油等を輸入し(98年輸入額24億5,281万ドル)、同国に機械類、鉄鋼等を輸出している(同輸出額8億5,810万ドル)。我が国は同国にとって最大の輸出相手国となっている(輸入相手国としては第2位)。98年12月にはハラズィ外相が訪日し、99年8月には高村外務大臣(当時)がイランを訪問した。さらに2000年11月にはハタミ大統領が来日した。