[4]タジキスタン

1.概 説

(1) 91年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。ラフモノフ大統領は、議会指導制を敷いていた92年9月から最高会議議長の地位にあったが、反政府勢力との間で暫定停戦に合意した後、94年11月に大統領制の復活に伴う大統領選挙で60%の得票を得て大統領となった(99年11月に再選)。タジキスタンは旧ソ連諸国の中で最も貧しい国であり、長引いた内戦で国民の80%が貧困状態に置かれている。経済復興から経済安定化及び市場経済への移行を目指しているが、改革には多くの困難を抱えている。
 ソ連からの独立以来続いてきた反政府勢力との内戦は、94年9月に暫定停戦合意が達成され、国連タジキスタン監視団(UNMOT)及びCIS合同平和維持軍が停戦の監視にあたってきた。96年12月には「和平協定」が署名され、97年6月、これを具体化するため国連、ロシアなどの仲介のもとで行われていた交渉が決着し、政府・反政府勢力の和解に関する最終合意が得られた。98年7月、和平の監視に当たっていた秋野豊政務官を含む国連タジキスタン監視団4名が殺害される事件が発生するなど、情勢はなお不安定であり、合意の履行は大幅に遅れていたが、2000年2月及び3月に議会選挙が実施され、和平プロセスは一応の完了をみた。我が国はタジキスタンの和平構築に寄与すべく、99年3月及び2000年3月、東京で「タジキスタン民主化セミナー」を主催、タジキスタン紛争の政府側・反政府側双方の参加による議論が行われた。
(2) タジキスタンの産業の中心は綿花をはじめとする農業であり、綿花は旧ソ連諸国全体の10%強を生産している。また、鉱物資源も亜鉛、スズの他ウラン、ラジウム等の希少金属の鉱床を有している。しかし紛争が続いたため生産の大幅な低下をはじめとする深刻な経済停滞に悩まされており、特に失業は大きな社会問題となっている。
(3) 外交面ではロシアの影響が強い一方、イラン寄りの政策を展開するとともに、アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタンなど近隣諸国との関係に配慮している。また、同国は国際機関や先進国による経済支援に期待しており、IMF、世銀、アジア開発銀行(ADB)に加盟している。
(4) 我が国との関係では、96年10月にアジモフ首相、2000年3月にナザロフ外相が訪日している。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) タジキスタンはソ連崩壊後の新たな自由主義国家として、その民主化、市場経済導入の動きはODA大綱の観点からも望ましいものであるため、同国が人材不足や経済インフラ復旧などの課題に効率的に対処し、経済的な困難を克服して国造りを行えるよう、我が国は同国に対する支援を行っている。しかし、前述の通り、和平が達成されたとはいえ依然国内の治安が十分確保されていないことから、援助の実施については安全状況に十分注意を払いながら行っていくこととしている。
(2) 我が国は、タジキスタンが93年1月にDACリストパートIに掲載されODA対象国となる以前の91年から研修員受入れや専門家派遣などの協力を開始しており、また、旧ソ連諸国に対する総額2億ドルの緊急人道支援の一部として、医薬品の供与など93年以来346万ドルを供与している。更に、赤十字国際委員会(ICRC)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)等の国際機関への拠出を通じた支援についても93年以来384万ドルの実績がある。
(3) 我が国はODAでは同国の政情を考慮して技術協力分野として研修員受入れを中心に支援を実施している。特に、前述の秋野豊政務官の遺志を生かし、98年8月、タジキスタンの和平・民主化支援のための研修員受入れの大幅拡大を表明した。無償資金協力については、95年度より草の根無償を、また98年度及び99年度には緊急無償を実施している。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績

DAC諸国、ODA NET
国際機関、ODA NET
(3) 年度別・形態別実績
(参考)99年度実施草の根無償資金協力案件
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