(1) 91年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。ナザルバーエフ大統領は、99年1月の大統領選挙で80%の得票を得て再選され、任期を2006年まで延長した。同大統領の強力なリーダーシップの下、カザフスタンの社会情勢は比較的安定している。95年8月の新憲法採択を受けて、12月に上下院選挙が実施され、議会が成立した。なお、同国は97年12月、首都をアルマティから現在のアスタナへ遷都した。
カザフスタンは、国内にソ連時代のセミパラチンスク核実験場を抱え、一時期中央アジア地域唯一の核保有国であった。しかし同国は非核保有国としての立場を選択し、93年12月、核不拡散条約(NPT)に加入した。
外交面では、密接な貿易関係、多数のロシア系住民等を背景に、ロシアとの良好な関係維持が重視され、96年3月にはロシア、ベラルーシ、キルギスとの間でCISの統合強化条約を締結した。一方、欧州安保協力機構(OSCE)をはじめ、国連、IMF、世銀、アジア開発銀行(ADB)などにも加盟し、国際機関や先進諸国による経済支援に期待している。
(2) 経済面では、天然資源に恵まれており、特に東部で産出される石炭と鉄鉱石を利用した製鉄がソ連時代に発展した。最近は、カスピ海の油田が脚光を浴びつつある。推定によると、カスピ海に賦存する石油埋蔵量のうち、カザフスタンは沿岸諸国中最大の50~60%を有するとみられており、外国資本を導入した探鉱・開発が進められている。また同国西部及び北部には大穀倉地帯を有する。ただし、農業は長期的に低迷傾向にあり、また、製造業も立ち遅れている。
98年は、農業の不作、資源価格の低迷、ロシア金融危機により経済は大きな打撃を受け、2年連続したプラス成長からマイナス成長に転じた。99年には、4月に変動為替制を導入し(=実質的通貨切り下げ)国際競争力が回復したことに加え、石油をはじめとする国際資源市場の回復と穀物の豊作に助けられ、下半期からは回復基調となり成長率はプラス1.7%を達成した。経済改革に関しては、インフレ抑制や生産向上など肯定的な成果も得られているが、マクロ経済重視の政策は給料の遅配等をもたらし、また所得格差の拡大や失業者の増大といった社会問題を引き起こしている。広大な国土全体でバランスのとれた発展をいかに実現するかが大きな課題である。
(3) 我が国との関係では、92年5月に、渡辺副総理兼外務大臣(当時)が同国を訪問、94年4月にはナザルバーエフ大統領、96年10月にはカジュゲルディン首相、99年9月にはトカーエフ副首相兼外相、12月にはナザルバーエフ大統領が訪日した。民間の経済協力調査団の派遣や日本・カザフスタン経済委員会など、我が国とは官民とも交流が盛んである。二国間の貿易関係は十分に活発とはいえないが、我が国の主要輸出品目は石油・ガス用鋼管、自動車などの工業製品、主要輸入品目はチタンクロム等鉱石である。カスピ海油田開発には我が国企業も参加している。