[1]ウズベキスタン
1.概 説
(1) 91年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。カリモフ大統領は2000年1月、国民投票で91.9%の支持票を得て任期を2005年まで延長している。同大統領は「漸進主義」(市場経済への段階的移行)による改革を行い、政治面では保守的である。議会では「人民民主党」と改称した旧共産党が勢力を占め、大統領を支持している。イスラム急進派の活動は禁止されているが、キルギス、タジキスタンとの国境付近におけるイスラム武装勢力の動きが活発化しつつある。
外交面・貿易面ではロシア依存からの脱却を志向したものの、最近再び治安関係でロシアとの関係が強まりつつある。一方で、西側諸国との関係も重視し、また、イスラム諸国とも連携強化を図っている。欧州安保協力機構(OSCE)をはじめ、国連、IMF、世銀、アジア開発銀行(ADB)に加盟、国際機関や先進諸国による経済支援に期待しているが、企業の民営化、金融市場や、農業の近代化は立ち遅れている。
(2) ウズベキスタン経済は、綿花生産量が年間約390万トンと世界第4位、金の生産は世界第6位である。また、天然ガスが豊富であり、石油、石炭、非鉄金属産業も発達している。同国はもともと農業国であり、エネルギー自給も達成していることから、CIS諸国の中ではソ連崩壊の影響による生産低下が最も少ない。96年にGNP成長がプラスに転じた。
ウズベキスタンは94年6月に独自通貨「スム」を導入、96年の国際収支悪化に伴い、外貨交換の制限、外貨割当や輸入制限の強化等の措置をとったため、為替市場に混乱をもたらし、外国からの投資の大幅な減少を招いた。98年7月、外貨取引の段階的な自由化を決定、2000年5月に為替公定レートを商業レートに一本化したものの、その後更なる自由化への見通しは立っていない。
(3) 民間の経済協力調査団の派遣や日本・ウズベキスタン経済委員会など、我が国とは官民とも交流が盛んである。94年5月にカリモフ大統領、96年12月、98年1月及び99年3月にスルターノフ首相、99年11月にはカミロフ外相が訪日、99年5月に高村外務大臣がウズベキスタンを訪問している。二国間の貿易関係は十分に活発とはいえないが、我が国からの主要輸出品目は通信機器、石油ガス用鋼管、主要輸入品目は金、綿花、亜鉛等となっている。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) ウズベキスタンはソ連崩壊後の新たな国際情勢において地政学的に重要な位置を占めている国であり、また同国の民主化、市場経済導入への動きはODA大綱の観点からも望ましいものであるため、同国が人材不足や経済インフラの老朽化、環境悪化などの問題に効率的に対処し、経済的な困難を克服して国造りを行えるように、我が国は同国に対し積極的な支援を行っている。なお、ウズベキスタンでは、外貨取引の自由化、二重為替制度の廃止などの経済自由化における課題が依然残っており、支援にあたってはその進捗にも注意を払っていく。
(2) 我が国は、ウズベキスタンが93年1月にDACリストパートIに掲載されODA対象国となる以前の91年から、研修員受入れや専門家派遣などの協力を開始しており、また、旧ソ連諸国に対する総額2億ドルの緊急人道支援の一部として、医薬品、ワクチン等の供与を中心に、93年以降1,520万ドル相当の支援を実施している。
(3) 有償資金協力では、運輸・通信インフラの整備への協力を実施している。無償資金協力では、保健医療分野への一般プロジェクト無償のほか、ノンプロジェクト無償資金協力及び食糧増産援助、文化無償等を実施しており、また99年度より留学生支援無償を開始した。技術協力では、市場経済、環境、各種行政分野を中心に研修員を受け入れるとともに、97年から3カ年計画で重要政策中枢支援として市場経済化に資する人材育成のための協力を行なった。99年度からは、青年海外協力隊が派遣されることとなった。開発調査は、環境案件であるアラル海沿岸の給水計画調査を行ったのをはじめ、資源開発、運輸分野等を対象に実施してきている。
98年11月、ウズベキスタンとの間でODAに関する政策協議を行い、その結果等を踏まえ、(1)市場経済化移行支援、(2)運輸インフラ整備、(3)環境保全、(4)地方医療、(5)民主化・行政支援を我が国支援の重点分野としている。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
DAC諸国、ODA NET
国際機関、ODA NET
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)99年度実施開発調査案件
(参考2)99年度実施草の根無償資金協力案件
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