[31]ナイジェリア

1.概  説


(1) ナイジェリアは、三大民族間の対立等を背景に、1960年の独立以来、内戦や度重なる軍事クーデター等を経験してきた。93年に政権を奪取したアバチャ元首は、民主化逆行措置等を行う一方、自身が大統領になるための形式的な民政移管を準備していたが、98年6月に急死した。後継のアブバカール元首は、政治犯の釈放、民政移管新日程の発表、諸選挙の実施等を順次行い、99年5月には、民主的選挙で選出されたオバサンジョ大統領が、約16年間政権を担当した軍部から政権を受け継ぎ、第4共和制初代大統領として文民政権を発足させた。同大統領は就任以来、議会との対立、民族・宗教対立に悩みながらも、貧困と汚職の撲滅を目標に、積極的に政治・経済改革を推進している。
(2) 同国は、アフリカのリーダーを自認し、特に西アフリカでは、盟主的存在として西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の枠組みを通じ、域内の政治的安定や経済統合を積極的に主導している。99年5月の民政移管以降は、国際社会における同国のイメージ改善に努力するとともに、国連及び国際機関での活動を積極化させ、国際会議の招致や開催等も行っている。
(3) OPEC第5位の産油国(クウェイト並みの日産約200万バーレル)であり、GDPの約12%、政府歳入の約63%、外貨収入の約95%を原油関連収入に依存している。しかしながら、原油収入を国民生活の向上のために適切に利用できておらず、貧困と累積債務に苦しんでいる。同国は重債務貧困国の認定を求めているが、主要債権国はこの点につき必ずしも譲歩していないのが現状。オバサンジョ現政権は、ドナー諸国や世銀・IMF等との関係改善、軍事政権時代に横領された公金の回収、累積債務の軽減、基本インフラの改善等に努力しているが、現在のところ同政権の経済改革は、必ずしも大きな成果を上げるまでには至っていない。
 他方、債務問題については、2000年8月、IMFとのスタンドバイアレンジメントが合意され、パリクラブの交渉開始の素地ができており、今後の進展が注目される。
(4) 我が国は、ナイジェリアから原油等を輸入し(99年輸入額20,772万ドル)、同国に自動車、鉄鋼等を輸出している(99年輸出額24,672万ドル)。99年4月には、就任直前のオバサンジョ大統領が訪日し、99年5月には、橋本元総理が同大統領就任式出席のためナイジェリアを訪問した。また、2000年7月には、我が国のイニシアティヴにより実現したG8首脳と開発途上国首脳との意見交換(東京)及びG8外相と開発途上国外相との対話(宮崎)に、G77議長国として、オバサンジョ大統領及びラミド外相がそれぞれ出席した。2001年1月には、現職総理初のアフリカ訪問として、森総理大臣がナイジェリアを訪問した。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

(1) 我が国は、アバチャ軍事政権(93~98年)が、民主化への動きに逆行する措置をとっていたため、94年3月以降、ODA大綱を踏まえ、原則として緊急・人道援助を除き新規の援助を停止していた。しかし、99年5月の民政移管完了を機に、それまでの新規援助原則停止の方針を見直し、援助を再開した。具体的には、食糧増産援助、ポリオ撲滅計画(ユニセフ経由)を無償資金協力にて実施したほか、分野を拡大した研修員受入等の技術協力を実施した。また、98年のパイプライン爆発事故に対し、緊急援助として医薬品・医療資機材(319万円相当)を供与した。
(2) なお、援助停止以前は、有償資金協力については、81年度までに農業、運輸、エネルギー等の分野において供与を行ってきたが、その後は、同国の経済状況の悪化に伴い、債務繰延べを行っている。無償資金協力については、所得水準の低下により、86年度以降食糧増産援助、農業、水供給等基礎生活分野を中心に援助を拡充してきた。技術協力については、これまで保健・医療、農林水産業等の分野で、研修員受入、プロジェクト方式技術協力等を実施している。
 また、同国の構造調整努力を支援するため、88年度に250億円の円借款の供与を行ったほか、99年度までに合計90億円のノン・プロジェクト無償資金協力を供与した。

3.政府開発援助実績

(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績

DAC諸国、ODA NET
国際機関、ODA NET
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)99年度までに実施済及び実施中のプロジェクト方式技術協力案件
(参考2)99年度実施草の根無償資金協力案件
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