(1) 67年のクーデターでエヤデマ大統領が権力を掌握して以来、西アフリカで最も安定した国の一つに数えられていた。90年以降民主化の動きが高まり、91年8月には国政上の実権がエヤデマ大統領から暫定政府のコフィゴー首相に移管されたが、同大統領を支持する軍の一部が首相襲撃未遂事件を起こす等、民主化プロセスの妨害が続いた。その後、94年2月の国民議会選挙の結果、野党側が過半数の議席をおさえ、野党第2党のコジョー氏が首相に指名され、民主化への歩みが再度始まった。98年6月、大統領選挙が実施され、エヤデマ大統領は再選されたが、野党側は投票結果に操作があったとして抗議を行い、99年3月に行われた国民議会選挙では全野党が選挙をボイコットするなど与野党間の政治的緊張が急速に高まった。こうした内政の緊張状況に対し、仏、独、EU、仏語圏の代表が仲介に当たり、99年7月、与野党間合意が署名され、エヤデマ大統領は国民議会選挙の再実施と2003年の任期満了に伴い政権を降りることを約束した。
(2) 外交面では、穏健な非同盟中立路線を基調として、仏・独・米等西側諸国との関係は基本的には良好であるが、98年6月の大統領選挙を契機とする野党の対立等、民主主義に深く関連する内政問題の推移を主要援助国は注視している状況にある。
アフリカ域内では、積極的に紛争の平和的解決に努力してきており、リビア・チャード関係の正常化、モーリタニア・セネガル間の紛争調停、ナイジェリア・カメルーン国境紛争にも関与。99年中は西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)議長国としてギニア・ビサオ紛争、シエラ・レオーネ紛争の仲介の役割を積極的に果たしている。
(3) 同国経済は、燐鉱石・綿花・コーヒー・カカオの輸出が重要な位置を占めており、70年代に一次産品の国際価格の上昇に伴い高度成長を遂げたが、80年をピークにこれら一次産品価格は下落の一途をたどったこと、併せて90年後半よりの政治的混乱も加わり同国経済は悪化していった。その後、政治的混乱が93年の後半に沈静化したこと、更に94年1月にCFAフランが切り下げられたため、一時は回復基調に向かった。しかし、98年には約8カ月にわたるエネルギー危機(電力不足)及び同年6月の大統領選挙以降の政治的危機の発生に伴い経済は再び停滞した。
(4) 我が国は、トーゴーから実綿等を輸入し(99年輸入額16万ドル)、同国に自動車、綿織物等を輸出している(同輸出額2,146万ドル)。