(1) 91年5月にメンギスツ軍事社会主義政権が反政府軍の首都制圧により崩壊し、同年7月メレス大統領を首班とする暫定政府が誕生した。同暫定政府は、諸部族の融和を図り、種々の民主化政策を発表し、92年6月の複数政党制の下での地方選挙を皮切りに、94年6月の制憲議会選挙、同年12月の憲法採択と、民主化プロセスを着実に進めてきた。95年5月の連邦下院及び地方議会選挙では、暫定政府を構成するEPRDF(エティオピア人民革命民主戦線)が多数を占め、同年8月には新政府(エティオピア連邦民主共和国)が発足し、ネガソ新大統領、メレス新首相がそれぞれ就任した。
(2) 外交面では、近隣諸国及び先進諸国との善隣友好政策をとっているが、隣国のエリトリアとの関係で、98年5月に国境画定問題を巡って武力衝突が発生し、99年2月には、国境沿いに大規模な戦闘が再開した。その後、OAUや米国による調停がなされたものの、2000年5月に、またも国境付近で戦闘が発生し、ようやく同年6月になって、両国は「休戦合意」に署名した。更に、2000年12月には両国間で和平合意が成立した。
(3) 経済面では、農業部門が労働人口の約85%、GDPの約50%を占めている。92年9月に世銀・IMFとの間で合意された構造調整計画に基づき経済自由化を推進し、95年1月には「開発、平和及び民主主義のための計画(国家開発5か年計画)」と題する経済開発政策を策定し、農業生産性の向上、教育、公衆衛生の改善等を最重点目標に据えている。石油や金等の天然資源に恵まれながら、その殆どが未開発であり、潜在的な発展の可能性は高いが、周期的な旱魃による食糧不足、インフレ、多額の対外債務、失業者の増大、ソマリア難民流入等による治安問題等課題が山積している。
(4) 我が国は、現政権の政治経済面での改革姿勢を踏まえ、エティオピアとの関係を強化させており、要人往来の面では、96年9月及び98年10月にメレス首相が来日した。貿易関係については、我が国は、エティオピアからコーヒー等を輸入し(99年輸入額6,338万ドル)、同国に自動車、タイヤ等を輸出している(同輸出額7,563万ドル)。
(1) 我が国は、エティオピアが、

アフリカ第二位の人口を擁する大国であり、開発の潜在性が高いこと、

長年の内戦による国土の荒廃、旱魃・飢餓、難民の発生といった極めて苦しい経済・社会状況にあり、一人当たりGNPが100ドル(98年)と世界で最も低い水準にとどまっていること、

現政権は、民主化及び構造調整政策を含む経済改革に取り組んできていること等に鑑み、DAC新開発戦略の考え方を具体化させつつ、無償資金協力及び技術協力を中心に援助を実施してきている。
(2) 97年6月には、無償資金協力及び技術協力に関する政策協議を実施し、エティオピアの開発計画に沿った支援を実施していくことが重要との認識の下、今後の我が国援助の重点分野として、教育、保健医療、食糧確保を掲げるとともに、同国の開発ニーズを踏まえ、インフラ整備、環境保全に対する協力を実施することで先方政府と合意している。
(3) 我が国は、同国の構造調整努力を支援するため、99年3月には経済構造改善努力及び債務問題を含む経済困難緩和を目的とした環境・社会開発セクタープログラム無償資金協力を6億円供与した。また、99年度までに合計75億円のノン・プロジェクト無償援助を供与した。また、更に、我が国はアフリカの角地域を襲った大旱魃により、深刻な食糧不足にあるエティオピア被災民を救済すべく、2000年4月国連世界食料計画(WFP)の要請に応え480万ドルの緊急無償援助を実施している。
(4) 現在、エティオピア政府は「貧困削減戦略ペーパー(Poverty Reduction Strategy Paper)」(暫定版)を鋭意作成中であり、我が国としても右作業に積極的に貢献していく方針である。
(5) なお、エティオピアは、すでに債務削減措置の適用を受けている上、重債務貧困国(HIPC)の一つとして、ケルン・サミットでの合意に基づいて成立した「拡大HIPCイニシアティブ」による債務削減措置が適用されることが見込まれていることから、円借款による協力は困難であり、従来どおり無償資金協力、技術協力を中心とした協力を検討していくこととする。
(6) また、現在、エリトリアとの国境紛争は、和平合意が成立したものの、国境画定等の未解決の問題に係る協議が継続しているところ、援助の実施に際しては、安全面に配慮しつつ慎重に検討・実施していく方針である。