国際協力の現場から 12
地雷処理を通じて自立する心を養う
~ アンゴラで活動する日本地雷処理を支援する会 ~
週1回のブルドーザー、油圧シャベル、地雷処除去機の整備を終えた土井さん(左)(写真:土井義尚)
アフリカ南西部のアンゴラは、2002年に和平合意が達成されるまで27年間に及んだ内戦のため、国全体で人口の約半数に等しい600万から1000万個の地雷が残っているとされる地雷大国です。アンゴラ政府は地雷除去の実施機関として、国家地雷除去院(INAD(イナド))を設立し、機械を用いた地雷除去を進めていくに当たって、その機材を使用、維持管理できる人材を育成する必要がありました。
2008年6月、日本のNGOである(特活)日本地雷処理を支援する会(JMAS(ジェイマス))が、首都ルアンダから約70km離れたベンゴ州マブバス郡での活動を始めました。そこは、陸軍駐屯地や軍の倉庫があったため、数多くの地雷が埋められ、2007年には子ども2名が地雷の犠牲になった地域です。ここでのJMASの役目はINAD隊員12名に対する教育を通じて安心・安全な土地を復興させることです。JMASの創立者であり、プロジェクト当初から現地で活動してきた土井義尚(どいよしなお)さんは隊員の教育に情熱を注いできました。「地雷撤去を行う国際NGOのほとんどは、NGO自らが撤去作業を実施してしまうので、現地に技術が移転されません。アンゴラのことは、アンゴラ人でできるように自立する支援をしなければ意味がないのです。」
陸上自衛隊に35年間勤務した土井さんは1999年に退職したのち、JICAの専門家としてカンボジアで地雷処理をしていたかつての同僚に、地雷処理を専門とするNGOの設立を依頼されました。土井さんは当初、この依頼を断るつもりでした。しかし、カンボジアを訪れ、不発弾の犠牲者が数多くいることを知ります。自衛隊時代、武器学校校長を務めた経験のある土井さんにとって不発弾の処理は専門分野。これは自分にしかできない、見過ごせば必ず後悔すると思い、この問題に取り組むことを決意しました。2001年9月にJMASを設立し、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、そしてアンゴラへと活動の場を広げてきました。
アンゴラでの活動は、「文化への挑戦だった」と土井さんは語ります。「研修を始めても、INADの隊員は遅刻するし、すぐに休みます。現地ではマラリアにかかったといえば休みが認められるし、親戚が多いからお葬式も年中ある。朝礼も無駄に長くやっている。こういった習慣を改善するだけでも3年はかかりましたね。」
JMASではINADとの取り決めで、隊員に毎月、補助金を支給していたのですが、土井さんはこれを銀行振込ではなく、直接現金で隊員一人ひとりに手渡すことにしました。隊員の意識改革をするために、勤務態度や地雷処理の技術についての評価を厳しく伝える面接の機会としたのです。
また、このプロジェクトは、コマツから地雷処理機、豊田通商から移動用車両、住友商事から事務所の提供といった支援を受けており、官民を挙げたオールジャパンの協力に支えられています。
プロジェクトでは地域復興支援事業も展開しました。地域のインフラ整備に加えて、子どもたちの育成にも力を入れました。マブバスではごみの投げ捨てが日常的に行われていましたが、土井さんたちは、子どもたちに呼びかけ、清掃作業を実施しました。ほかにも、サッカー教室や塗り絵教室を開き、子どもたちと一緒に花壇をつくるなど、子どもたちと交流を深めました。
「アンゴラの内戦は国内全土に広がり、同じ村の中でも政府派と反政府派に分かれました。疑心暗鬼になって他人を信じられない大人たちがたくさんいます。でも、子どもたちは違う。次の世代を担う子どもたちには可能性があるのです。」
プロジェクトの活動が本格的に始まってから5年目に入り、INADの隊員たちも成長しました。地雷処理も当初の100ヘクタールが完了し、次の100ヘクタールに取りかかっています。地雷除去後のインフラ整備や農業支援を含めた総合的な地域復興事業は、アンゴラ政府からも高く評価され、この地域に州都の重要な部分を移転することが決まりました。JMASと日本のODA支援、そしてアンゴラ人自身によって、安全が確保された地域に新たな街が着々と建設されています。
地雷除去機の点検に来たコマツ職員からの紙風船のお土産に喜ぶ子どもたち(写真:土井義尚)