国際協力の現場から 06
マダム、これが俺たちのメトロだ!
~ インドで地下鉄建設の品質・安全管理を担う女性土木技術者 ~
日本から運ばれた掘削機(シールドマシン)の前に立つ阿部さん(写真:藤田修平)
世界の大手ハイテクメーカーが進出し、インドのシリコンバレーの異名を持つバンガロール市。急速な経済発展と1,000万人に迫る爆発的な人口増加によって市街地は慢性的な交通渋滞に陥っています。2007年7月、都市交通「バンガロール・メトロ」の建設が始まりました。全長42kmの鉄道で、中心市街地の8kmが地下鉄となり、残りの区間は地上を走る予定です。完成すれば、都市環境が改善されるとともに、人々が渋滞に左右されず時間通りに目的地に着けるようになるのです。また、メトロには、駅構内や車両内にセキュリティシステムが導入されているため、女性が1人でも安心して乗れます。これにより女性の社会進出を促すことも可能になります。
メトロの総事業費3,068億円のうち約2割にあたる645億円を、日本は円借款で支援しています。工事現場で「マダム」と呼ばれる人物がいます。阿部玲子(あべれいこ)さん。工事を統括する株式会社オリエンタルコンサルタンツの社員で、土木工学の専門家です。2010年10月から現地で品質管理と安全管理の責任者を務めてきました。阿部さんがインドでプロジェクトに関わるのは、2007年からの「デリー・メトロ」建設事業に次ぐ2度目です。初めてインドに赴任したときのインド人の部下たちとの文化ギャップを阿部さんはこう語ります。
「まず時間を守るという観念がありません。会議でも30分は平気で遅れる。私が怒っていると、『なんで、マダムは怒っているの? まぁまぁ、コーヒーでも飲みましょう』と。でも、基本である時間が守れなければすべての管理がいい加減になる。とにかく、あきらめずに怒り続けましたね。」
マダムは怒る、といわれ続けながらも、阿部さんはインド人の気質を理解していきました。プライドが高く、向上心が強い。納得すれば、猛然と実行する。初挑戦が大好き、など。阿部さんはその気質を尊重しながら、部下たちに上手に指示を与えていきました。
メトロの工事現場では力仕事を担う労働者が数万人規模で働いています。バンガロールの現地語はカンナダ語ですが、地方からの出稼ぎ労働者は言語が違うため、読み書きができません。文字の読めない彼らの安全や健康を守るため、デリー・メトロで初めて採用した手法がここでも活躍しました。
地下工事では地盤が変動して道路が陥没したり、近隣のビルが傾く恐れがあります。そこで目をつけたのは、神戸大学で考案された変動を計測する機器に3色の信号を取り付けることです。“安全の見える化”です。いつも青く点灯している信号が黄色や赤になれば言葉はわからなくても誰でも変化に気がつきます。
また工事現場では、粉塵対策も作業員の健康を守るための重要な課題です。しかし、マスク着用すら守られていません。どうすれば粉塵量に見合ったマスクを着用させることができるのか。阿部さんが思いついたのは、山口大学が開発したスマートフォンによる粉塵を計測するシステムの活用でした。インド人は大のスマートフォン好き。狙いは的中し、現場のエンジニアたちは粉塵レベルを率先して計測するようになりました。構内に粉塵分布地図を設置し、測った粉塵レベルを青・黄・赤のプレートで表示。これでどのマスクを着ければよいかが一目瞭然になったのです。加えて、医師を工事現場に呼んで、粉塵問題の重大性を説明してもらったのです。現場の意識は一変しました。
インドに導入されたこれらの新しい技術は、メトロ公社によって継続され、バンガロール・メトロの工事でも活用されていて、日本のプロジェクトがもたらした大きな収穫になっています。
渋滞が続くバンガロール市内。阿部さんが休日にオートリキシャに乗っていたときのことでした。メトロの工事現場にさしかかり、さらに渋滞はひどくなります。運転手は阿部さんに話しかけました。
「マダム、これが俺たちのメトロだ。素晴らしいだろう!」
メトロができることを誇らしげに語る彼の姿に、阿部さんは心の底から喜びを感じたといいます。運転手はこう続けました。
「ところで、マダムの国にはメトロはあるのかい?」
バンガロール・メトロは2015年3月の完成を目指しています。
安全技術指導を行う阿部さん(中央)。ヘルメットは立場や担当で色分け(写真:芥川真一/神戸大学)