援助の現場から 14
太平洋の孤島キリバスでいのちをつなぐ港を作る
~ ベシオ港で大型船舶の接岸を可能に ~
キリバス政府の通信・運輸・観光開発省担当官と阿南さん(写真:阿南正典)
南太平洋の赤道周辺にあるキリバスは、東西約4000km、南北約2000kmという広大な海域に散在する島々から成り立っている国です。30以上の島々を合わせても、国土の面積は720km2ほど。これは長崎県の対馬とほぼ同じです。珊瑚礁に囲まれた島々の土壌は農業には適さず、野菜をはじめとする生活物資のほとんどを、ニュージーランドやオーストラリアからの輸入に頼っています。海外からの物資を受け入れるのは、首都のあるタラワ環礁のベシオ港です。キリバス唯一の国際港であり、島国キリバスの生命線といえるでしょう。
日本は以前からベシオ港の開発にかかわってきました。1997年から2000年にかけて、貨物船が接岸してコンテナの取り扱いができる岸壁とヤード(コンテナ貨物を保管したり、受け渡しする場所)の整備をしました。その後も、エルニーニョ現象の影響と考えられる異常波浪で破壊された護岸の修復を支援してきました。近年、物資を輸送するための船舶が大型化しています。ベシオ港の岸壁前の水深が不足して接岸できない貨物船もあり、その場合は充分に水深がある場所に船を停泊し、洋上ではしけにコンテナを降ろした上で、それを岸壁に接岸して荷揚げしなければなりません。このようなコンテナの積み替え作業のコストは物資の価格に上乗せされます。
2011年からスタートした無償資金協力「ベシオ港拡張計画(本体工事)」では、4年をかけて、大型の貨物船が接岸でき、直接荷降ろしができるようにしていきます。工事を実施する大日本土木(株)・東亜建設工業(株)共同企業体の現場所長、阿南正典(あなんまさのり)さんは、1997年の援助開始当初のベシオ港整備計画工事プロジェクトにもかかわってきた人物です。1982年に大日本土木(株)に入社して以来15年間、国外の援助の現場で働いてきた阿南さんは、現地の状況をこう語ります。「キリバスで充分自給できるものといえば、魚やココナツなどの限られた産品で、燃料や食料など店頭で売られている物はほとんどすべて輸入品です。店舗から商品がなくなれば、次の定期便を待つしかありません。」
施工中の連絡橋全景、奥に見えるのはコンテナヤード(写真:阿南正典)
キリバスでは、資材もすべて海外から調達しなければなりません。今回のプロジェクトのために貨物船をチャーターし、1万トンの資材を日本から運びました。物資が到着したとき、荷下ろしに当たったキリバス人作業員の仕事の質の高さに阿南さんは驚きました。「作業員たちの仕事の手際は予想以上でした。実は、荷降ろしのときに多少は物資に傷がついてしまうかもしれないと覚悟していました。それが終わってみれば、傷一つなく荷降ろしが完了したのです。」過去から現在までのODAによるキリバスでの工事が、キリバス人労働者の質を上げていたのです。
今回のプロジェクトは2年目に入りました。現在は、日本製の鋼管杭を海底に打ち込んでいます。期待される品質のために、最新の工法を採用しました。作業員たちも慣れて、作業は順調に進んでいるといいます。阿南さんは、このプロジェクトが現地の人々から求められていることを感じています。キリバス政府はプロジェクトを推進させるために、事務処理などに率先して対応してくれます。国が小さいために、一般国民の大多数が日本の援助によって港が整備されていることを知っており、感謝の気持ちを表現してくれるのだそうです。日本の援助で建設した島間連絡道路の工事に携わっている大日本土木(株)への敬意を込めて「ダイニッポン小学校」と名付けられた小学校もあります。人々の感謝の気持ちを受け取りながらも、阿南さんにはある思いがあります。 「完成後、維持管理もしっかりしてもらえたらいいですね。発展するためには物を大切にすることが重要だと思います。」キリバスの生命線であるベシオ港。阿南さんは、キリバスという国が発展していくために人々が港を大切に守っていってくれることを心から願っています。