援助の現場から 13

上下水道の整備支援で住民の健康と生活を改善
~ ペルー・リマの水を支える円借款 ~

カルメラ・ガボネル・パラレスさん。ワチパ浄水場にて(写真:松本周介)

カルメラ・ガボネル・パラレスさん。ワチパ浄水場にて(写真:松本周介)

南米・ペルーでは、乾燥した沿岸部に人口が集中しています。とりわけ同国の約3割に当たる900万人が住む首都リマでは、年間を通じて降水量が少なく、すべての住民への飲料水供給の改善は急務の課題です。上下水道が整備されていない地域の人々は、巡回する給水車から水を購入していますが、その水は川から汲み上げたものに塩素を少量加えただけです。丘の上の集落に住む人々は、水の入ったポリタンクを持って急な階段を登り、時には転倒する事故も起きていました。運搬するのは女性や子どもの仕事で、中にはあまりの重さに背骨が歪んでしまう人もいたほどです。

日本政府では、1990年代からの円借款の供与を通じて、リマ上下水道公社が運営する水道施設の拡張や改修を支援してきました。2000年、「リマ首都圏周辺居住地域衛生改善事業」がスタート。2011年7月には、240万人に安全かつ安定的に水を供給するワチパ浄水場が完成するとともに、5万世帯25万人の上下水道網も整備されました。

しかし、ここに至る道のりは平坦ではありませんでした。この円借款はフジモリ政権時代(1990~2000年)に決まりましたが、その後、ペルー政府内では上下水道公社を民営化する案が浮上するなど、上下水道を整備する円借款は白紙になりかけたのです。「異議を唱えたのは住民でした。」こう語るのは住民との折衝に当たってきた水道公社のカルメラ・ガボネル・パラレスさんです。「水道事業が民営化になれば、利益の上がらない地域では整備が行われないのは明らかです。水道が通っている地区でも料金も5倍に跳ね上がります。対象の18地区の住民はデモ隊を組織しました。」

住民たちはデモ行進を通じ、上下水道公社の民営化案に反対し、上下水道整備の必要性を訴えました。その後、ペルー政府は最終的に住民の主張を受け入れ、事業の実施を決定しました。

急斜面にある住宅。整備前はポリバケツ(右)を水瓶に(写真:レジーナ・トミー)

急斜面にある住宅。整備前はポリバケツ(右)を水瓶に(写真:レジーナ・トミー)

上下水道が未整備だったころは、汚水は道に垂れ流されていたので、夏になると乾燥した汚泥が空気中を舞い、気管支系の感染症を患う住民が数多くいました。水は汚染されており、下痢や腸チフス、蚊によるデング熱などの感染症も大きな問題となっていました。上下水道の完成後、病気が劇的に減少したといいます。病気が減ったことで、家庭の負担する医療費も減り、子どもたちが学校を欠席する回数も減りました。

上下水道の整備は、地域の女性たちの生活も大きく変えました。かつては毎週土曜になると大量の衣類を抱えて洗濯場(コンクリートでできた簡易な水溜め)に集まり洗濯をしていました。洗濯物を運びながら、長い距離を歩くのは一苦労です。今は昼夜を問わず洗濯ができるようになりました。「自宅での洗濯がこんなに楽だと初めて知った。」と語る女性もいたそうです。

また、思いがけない嬉しい話として、サン・ファン・デ・ルリガンチョ地区では、水道水を利用したレタスの水耕栽培も始まりました。雨がほとんど降らない同地区の住民が農業省のセミナーに参加し、レタスであれば水だけで容易に栽培できると知ったことがきっかけでした。必要経費は住民が賄っており、生産したレタスは自分たちで消費するほか、地域で販売し、収益は水を通すパイプなど資機材の購入に充てています。

水道公社のガボネルさんは上下水道の整備によって住民が目標を抱くようになったと語ります。「住民は将来的に子どもたちの栄養改善に役立つ根菜類の栽培も行いたいと考えているのです。」日本の国際協力によって実現した上下水道の整備は、リマの人々の生活そのものを大きく改善したのです。

「水は権利である」と書いた横断幕を掲げる住民たち(写真:レジーナ・トミー)

「水は権利である」と書いた横断幕を掲げる住民たち(写真:レジーナ・トミー)


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