援助の現場から 10
国家試験制度を実現し、看護師の質を向上させる
~ ネパール初の導入に日本人が尽力 ~
委員会のメンバーと国家試験の準備をする宮本さん (写真:宮本 圭)
2012年5月11日、ネパールの首都カトマンズで、同国初の看護師の国家試験が実施されました。 この制度の導入は、JICAのシニア海外ボランティアの宮本圭(みやもとけい)さんなくしては実現しなかったといっても過言ではありません。ネパール看護評議会に配属され、国家試験を制度化するための委員会の開催、各地での説明会の開催、試験要項や看護師国家試験規則、試験問題の作成などを、様々な政治的圧力や抗議活動に屈することなく支援してきました。
宮本さんは看護師の資格を取得した後、東京の大学病院で小児ケアに従事していたときに南アフリカのアパルトヘイト問題を知りました。人種や肌の色、生まれた場所によって差別され、命を脅かされて人々がいる。宮本さんは、「医療の本質はこういった場所でこそ活かされる」と感じ、国際協力に関心を抱くようになりました。日本国内の病院や大学で看護教育や地域保健の経験を積みながら、1996年のルワンダ難民支援を皮切りに、カンボジア、ドミニカ共和国など途上国で、地域保健の向上や現場で働く看護師に対する教育・指導に携わってきました。
2006年、宮本さんはJICAのシニア海外ボランティアとしてネパールの公立の専門学校で看護教育に従事し始めます。現地で目の当たりにしたのは看護教育の危機的な状況でした。看護師の資格制度は国によってさまざまです。ネパールでは、大学の看護学科・専門学校を卒業した後に、看護評議会に登録する仕組みを採用していました。しかし、近年、看護学校経営は確実に儲かるビジネスになることから学校が乱立し、その結果、教育者や実習の不足などにより教育の質が低下したのです。評議会では、こういった状況を改善し看護師の質を向上させるために、2008年から看護師国家試験の準備を開始しました。
ネパールで初の看護師国家試験を受験する看護学生(写真:宮本 圭)
2010年6月に看護評議会に配属された宮本さんは、試験導入のプロジェクトに参加し、評議会そのものが様々な思惑や圧力によって揺れている事実を知ります。看護学校の経営者の中には国家試験の導入によって自校の学生が看護師になれなくなることを危惧し、政治的な圧力をかけた者もいました。評議会の建物は封鎖され、試験委員会も4度にわたる抗議行動に遭いました。「利害関係が渦巻き、政情が不安定な中で、看護界をリードし、看護サービスや看護教育の改善を図っていくことの難しさ、そしてそれを成し得るための強さの必要性を実感する日々でした。」と宮本さんは当時の状況を振り返ります。
国家試験の準備をする上で、宮本さんが最も力を入れたのは、現地スタッフが確実な仕事を目指すことでした。ネパール人は短期のプロジェクトでは抜群の集中力を発揮しますが、長期戦は苦手です。徒に急いで仕事を進めようとするネパール人にストップをかけて、考え直させることも度々でした。
5月11日にようやく実施された国家試験の採点でも、宮本さんは評議会の委員たちに採点が確実にできているかを問いかけました。「試験結果が公表される前の晩です。夜の10時になり、みな疲れ果て、もう帰りたがっていました。それでも私は『合否の結果の確認、これでいいんですか?もし、結果に誤りがあったら評議会は信用を失い、次の試験は行われませんよ。本当にこの確認だけで大丈夫ですか?』と言いました。すると、委員たち自ら『やろう、大丈夫だって思えるまで確認しよう』と、再び床に座り、結果の確認作業を行い始めたのです。」
宮本さんは、委員たちのこの行動を見て、今後も性急に事を進めることなく確実に試験を実施していけるだろうと安心しました。看護師の国家試験導入は、ネパールの医療や保健のレベルを上げるための一歩に過ぎません。宮本さんは、こう語ります。「看護サービスの向上のためにも、保健や看護教育が政争から切り離されることを願います。また、一度はなくなってしまった保健人口省の看護課がもう一度設けられることで、看護職が国の保健を担う専門職の一つとして、独立した形で看護の問題に主体的にかかわる仕組みが構築されることを期待しています。」