第1節 被災地に届く世界各国の支援

震災直後から、被災地には海外の多数の国から多くの支援の手が差し伸べられました。震災後の2か月間に被災地を訪れた海外からの緊急援助隊や医療支援チームは23の国と地域に及びます。来日した各国のチームは日本の警察や消防、自衛隊などと協力し、救助・捜索、医療、がれき撤去などの活動を行ったほか、言語の壁を越えて地元の人たちと交流を図り、大きな勇気と励ましを与えました。

中でも米国による迅速で大規模な支援は、両国間の強固な絆と信頼を示すものでした。地震当日の深夜、オバマ大統領は菅総理大臣に対し、あらゆる可能な支援を行う用意がある旨を伝え、米軍は直ちに被災地支援作戦を開始し、行方不明者の捜索、救援物資の輸送、給電車・給水車の提供などの人道支援活動を幅広く展開しました。これは「トモダチ作戦」と名付けられ、最大で人員約2万5,000人、艦船24隻、航空機189機が投入されました。米国の献身的な支援は、日本国民の心に深く届いています。

国連総会にて、国際社会からの支援への感謝と日本の復興への決意を表明する野田佳彦内閣総理大臣(写真提供:内閣広報室)

国連総会にて、国際社会からの支援への感謝と日本の復興への決意を表明する野田佳彦内閣総理大臣(写真提供:内閣広報室)

日本の被災者に対する支援、連帯と激励の声は世界各地から様々な形で届けられました。韓国は、地震の翌日に救助犬チーム、さらにその2日後に追加支援を含め107名の救助隊を仙台市などに派遣しました。5月の日中韓サミット出席のため来日した温家宝(おんかほう)中国国務院総理と李明博(イミョンバク)韓国大統領は、会議前日に宮城県の被災地を訪れ献花した後、菅総理大臣と共に福島県内の避難所を訪問し、被災者を見舞いました。タイの発電公社からは電力供給能力不足に陥った東京電力に対し、発電機2基が周辺設備も含めて、無償で貸し出されました。地理的に遠く離れた中南米諸国からも、毛布や保存食料等の物資が多数送られました。また、欧州を含む世界各地で被災者支援のための集会やチャリティーイベントが開催され、義援金が集められました。

石巻市で炊き出しを行うASEAN各国のボランティアたち

石巻市で炊き出しを行うASEAN各国のボランティアたち

米国の「トモダチ作戦」により被災地に物資輸送に向かう米軍ヘリコプター(写真提供:U.S. Navy Photo)

米国の「トモダチ作戦」により被災地に物資輸送に向かう米軍ヘリコプター(写真提供:U.S. Navy Photo)

日本の復興には、先進国のみならず、多くの途上国からも温かい支援が送られました。西アフリカのシエラレオネで学校の給食支援を行っている日本の援助団体には、現地の学校の生徒たちが集めた500ドルの義援金が届けられました。一日一食も満足に食べることが難しい中で、自分たちの食料である野菜やマンゴーを売って得たお金を持ち寄ってくれたものでした。世界各地の日本大使館や総領事館には、多くの市民から、生活のために必要な収入の中から工面した寄付が、被災した日本の人たちを助けたいとのメッセージと共に数多く寄せられました。

学生たちが被災者へのお見舞いと連帯の気持ちを表明する集会を開いた(パキスタン)

学生たちが被災者へのお見舞いと連帯の気持ちを表明する集会を開いた(パキスタン)

送られてきた支援のメッセージの中には、自分たちが被災したときに日本から受けた援助、自国の開発を支えてきてくれた日本に対する感謝に触れるものが多くあります。救助隊の派遣や毛布等の物資を提供したトルコのチチェッキ副首相は、「友好国日本の苦しみを共有し、日本が短期間にその傷を癒すであろうと確信している。そのためにあらゆる貢献を行う用意がある。日本と日本国民が1999年のトルコ地震に際して支援の手を差し伸べてくれたことを忘れていない。」と述べました。

また、神奈川県のアジア、アフリカ、中東の様々な国出身の在日イスラム教徒のグループは、食材や支援物資を調達し、輸送手段を確保して、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市、南三陸町などの孤立した小さな避難所を中心にまわり、日本人ボランティアとも協力して数千人分のカレーの炊き出しを8回にわたって行いました。活動を行うに至った思いを、こう語っています。「2004年12月26日、スマトラ沖大地震が起きました。巨大な津波が私たちの母国の一つであるスリランカを襲い、5万人以上の人たちの命を奪いました。あのとき、一番に私たちを助けに来てくれたのは日本の人たちでした。パキスタンやインドネシアで災害が起きたときもそうでした。私たちの国で、学校や病院を建てたり、港や橋を造ってくれたのも日本の人たちでした。今回このような大災害に見舞われた日本の方々の悲痛な姿を目にして、私たちは『自分たちに何ができるだろうか』話し合いました。それは『避難所で寒い思いをしている方々に暖かい食べ物を届けること』でした。日本の人たちはみんな、私たちのきょうだいです。『今度は私たちが日本の人たちに恩返しをしたい』『どうにかして被災された方々に何かしてあげたい』その気持ちが私たちを動かしました。」

宮城県石巻市にて、<a href=

宮城県石巻市にて、NGOピースボートと共に復旧支援を行うスリランカ救援チーム。被災住民にスリランカ紅茶をプレゼント

ハノイ国家大学日本学科の学生が励ましの寄せ書きをした(ベトナム)

ハノイ国家大学日本学科の学生が励ましの寄せ書きをした(ベトナム)

宮城県三陸町にて、被災地住民の救護に当たるイスラエルの医療チーム

宮城県三陸町にて、被災地住民の救護に当たるイスラエルの医療チーム

諸外国・地域・国際機関からの援助チーム・専門家チーム等活動場所(2011年9月時点)

諸外国・地域・国際機関からの援助チーム・専門家チーム等活動場所(2011年9月時点)


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