コラム 9

きれいな病院プログラム
~ タンザニアで5Sに取り組む ~

ムベヤ病院でカイゼンの講習を行う石島さん(写真提供:石島久裕)

ムベヤ病院でカイゼンの講習を行う石島さん(写真提供:石島久裕)

タンザニアは、保健分野での深刻な人材不足に陥っている国*1の一つです。2010年9月時点で公的医療機関において必要な人材の4割程度しか配置されていなく、2万以上の専門職ポストに空席があるという状況でした。保健医療施設における医療サービスの質が改善されないのは、このような人材不足に象徴されるあらゆる種類の資源不足に原因があるといわれています。

日本は、この状況を打開し、保健医療サービスの質の向上を目指すための協力を行っています。その一つが2007年からアフリカの15か国で展開されている「きれいな病院プログラム」です。このプログラムは、日本の品質管理手法である、「5S」(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)および「カイゼン」の手法*2を医療現場に導入・普及させることでサービスの質の向上を目指す取組であり、現在も各国の努力のもと続けられています。タンザニアでは、石島久裕(いしじまひさひろ)JICA専門家を中心に取組が行われており、大きな効果を挙げています。

2007年の「きれいな病院プログラム」開始時、参加したいと最初に手を挙げたのがムベヤ病院のサムキ院長です。彼は、日本でJICAのセミナーに参加した後、資源不足という大きな制約を抱えながら、日本の5Sを応用し、劇的なサービス改善に成功したスリランカの病院を視察し、5Sの医療の質向上への効果にすっかり魅了されました。サムキ院長は「ムベヤ病院をアフリカの5Sの域内拠点にします!」と宣言、1か月後には研修の成果を持ち帰り、さっそく自分が勤める病院で活動を始めました。

それまでのムベヤ病院は、年間19万人もの外来患者数を抱えるタンザニア南部の中心的な国立病院であるにもかかわらず、医療機器や薬品の管理に問題がありました。また、業務効率も悪く、1日待っても診察にたどり着けない患者が後を絶ちませんでした。

5S導入を宣言したサムキ院長は、同じようにやる気に満ちあふれたスタッフとともに質改善チームを立ち上げます。各病棟の現場で業務改善チームを組織し、取組を始めました。しかし、5S活動が根付くまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。5S活動の目的は、自らの働く環境を常に整える習慣をつけることによって、問題発見・問題解決の土台を作ることです。現場スタッフが主役の取組であるにもかかわらず、開始時にはスタッフ側の抵抗があり、「なぜ専門スタッフの自分がお掃除キャンペーンをしなければならないのか」と協力しない部署もありました。それでも質改善チームはゆっくりと根気強く、努力を続けました。すると、整理整頓により無駄を省くことが、在庫管理の向上や費用削減などの成果につながることが目に見えるようになりました。これが、スタッフの理解や共感を引き出し、3年後の2010年にムベヤ院長は、全国病院監査で見事第1位を獲得するに至りました。

成果はタンザニア全国に広がりを見せ、2011年現在、タンザニア国内の46病院で5S活動が展開されています。そして、この活動はタンザニア政府の保健政策・戦略にも採り入れられています。また、ムベヤ病院は、近隣諸国にも普及している5S活動成功モデルの視察地となっています。

効果の拡大、普及を現場で支えているのが各地の病院で働く青年海外協力隊員です。隊員たちは、医療行為ができないという活動の制約に悩んでいましたが、石島専門家が5S活動を紹介したことがきっかけで、配属先の病院での自発的な5S活動が広がりました。お互いに情報交換をしたり、保健福祉省が実施する巡回指導に石島専門家と共に参加したり、熱心に活動強化に励んでいます。石島専門家も隊員たちの活動を側面から強力に支援しています。2010年からは5S専門の隊員も派遣されるようになりました。

このように順調な広がりをみせる5S活動ですが、石島さんはまだまだ満足していないようです。石島専門家は笑顔で語ります。「私たちの活動はこれからです。タンザニア全病院への5S普及が目的ですから。」


*1 : WHO、The World Health Report 2006において、保健人材危機に陥っている国57か国の一つとされた

*2 :「5Sーカイゼン手法」とは、質の高い保健サービスが提供できるよう、「5S」(整理・整頓・清掃・清潔・しつけの定着化)で職場環境の向上を行い、「カイゼン」(現場レベルの参加型問題解決プロセス)により、限られた資源を使って業務内容やサービスを向上させる手法

ムベヤ病院業務改善チームによる現場スタッフへの指導(写真提供 : 石島久裕)

ムベヤ病院業務改善チームによる現場スタッフへの指導(写真提供 : 石島久裕)


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