コラム 2
障がいを持つ人と共生できる世の中に
~ ボリビアの特別支援教育 ~
日本の教育経験を研修員に紹介する上條さん(写真提供:上條貴子)
ボリビア教育省でJICA専門家として活躍する上條貴子(かみじょうたかこ)さんは、1998年に青年海外協力隊員として初めてボリビアに派遣されてから一貫して、ボリビアの特別支援教育への協力に携わっています。上條さんは、特別支援教育を大学で学び、卒業後は小学校や養護学校の教員を務めました。9年にわたる教員生活の後、かねてから関心のあった青年海外協力隊に応募して、首都ラパスから約230㎞離れたオルロ県の障がい児施設に派遣されました。
活動する中で上條さんは、ボリビアの障がい児とその家族が置かれている厳しい状況に否が応でも気付かされることになりました。ボリビアの障がい児が抱える最大の問題は子どもたちが「見えない存在」であることでした。
子どもが障がいを持っていることすらわからず苦しんでいる親、家に閉じ込められ社会から隠されて行き場を失くした子どもたち、不当な差別を与える学校や教師、障がいを持つことが神の下した罰だと受け止める社会。理不尽な状況の中で必死になって生きる数多くの障がい児とその家族に出会い、その出会いと経験が上條さんをボリビアの障がい児のためにさらにつき動かすことになります。
オルロ県のほかの一般の学校や幼稚園で留年が多いと聞いた上條さんは、「留年するのは障がいがあるからではないか?」と考えました。実際調べてみると多くの問題を持つ児童が障がいのせいで留年している事実が分かりました。そこでオルロの教育委員会の許可を得て、試験的に学校で問題を抱える障がい児のための教室を開き、5歳から15歳の障がい児約40人を受け入れました。上條さんは青年海外協力隊員の任期終了後もボリビアに再び戻り、この教室を維持し、発展させるために、自費によるボランティア、国連ボランティアとしてかかわり続けることになります。
最初のころの教室は上條さんのほかに、地元のボランティアが一人いるだけでしたが、評判を聞いて、入室希望の障がい児が次々に集まり、クラスも当初の2クラスから3クラスに増えました。しかし、二人だけで教室を続けることは難しく、上條さんは、行政の支援を得るため教室を公立学校に認可してもらおうと、担当する教育省に働きかけました。オルロから教育省のある首都ラパスまでは片道約3時間半かかります。上條さんは、時間を見つけては担当官に会いに行き、何度もかけ合いましたが、なかなか首を縦に振ってもらえません。そうこうして、半年が経ったころ、ついに副大臣が公立校に認可する書類にサインをしてくれました。担当官を外出先まで追いかけて説得した上條さんの熱意が報われたのです。
このような上條さんの活動はボリビア側からも評価され、2004年からはJICAのシニア海外ボランティア、そして2010年からは専門家として、現在は教育省でボリビアの国全体の特別支援教育を改善するための支援*1を行っています。上條さんが力を入れて取り組んできた事業の一つが、どのくらいの障がい者がボリビアにいるかを把握することです。データの無いことが障がい者への施策を困難にしている状況があったからです。JICAの支援を得て2006年に始まった「全国統一障がい者登録プログラム」は、まさに、この障がい者の実態把握に大いに役立つものとなりました。これは、上條さんのみならず、上條さんの同志であり、自らも車椅子の生活にありながらボリビアの障がい者のために精力的に活動し、二人で力を合わせてこのプログラムの実現に貢献したフェリサ・アリさん(当時、全国障がい者委員会会長)の悲願でもありました。このプログラムによりボリビア政府は「障がい者の存在を公的に認める」ことになりました。障がい者はようやく「見える存在」になったのです。同時にこのプログラムは、ボリビア政府に障がい者政策を考える責任を持たせることになりました。「障がいを持ったすべての人が社会的に認められ、共生できる世の中が築かれていってほしい。」という上條さんたちの願いは産みの苦しみとともに着実な一歩を踏み出したのです。
*1 : 特別支援教育教員養成プロジェクト(2010年6月~2012年11月)
研修会で医師と一緒に説明するフェリサ・アリさん(左側)(写真提供:上條貴子)