コラム 14 連帯し自立へ進む~日本のNGOによるハイチ支援~

ハイチは1804年に中南米で最初に独立した国で、独立当初は砂糖生産の世界的な中心地でしたが、今では土地がやせ、経済は、コーヒー、マンゴーなどの農産品の輸出に頼っています。また、少ない現金収入を補うために、森林を伐採して炭をつくるため、環境破壊が進み、農地は減少しています。

日本のNGOである「ハイチの会」の現地プロジェクトマネージャーとして、熊谷雄一(くまがいゆういち)さんがハイチを初めて訪れたのは2004年でした。家庭訪問調査を行うと、1日1食しか食べていない家庭が多く、口に入れたのはコーヒーだけという答えも返ってきました。

熊谷さんは、岐阜大学農学部を卒業し、ハイチの会に参加する前にはアフリカのブルキナファソで青年海外協力隊として野菜栽培指導に取り組みました。任期終了後、引き続き開発途上国の支援に携わりたいと思っていたところ、出身地の愛知県のNGOであるハイチの会から誘われ、この国への協力に携わることになります。

ハイチの会は、1986年に設立され、その活動はハイチの中央県アンシュ市で活動するシスター本郷幸子(ほんごう さちこ)さんによる教育活動を支援することから始まりました。そして2004年からは同市の農村部への協力を行うようになりました。*1

このプロジェクトは「まず自分たちの食料を自分たちで確保することから始めよう」という熊谷さんの考えから生まれたもので、住民が農園を共同運営するものです。

活動の主体となっているのは、「住民家族共同体」というグループです。その中心人物はハイチ人のエグジルさんです。エグジルさんはかつてハイチの会の支援により日本で1年間、農業研修を受けたことがあります。ハイチに戻ったエグジルさんは、「連帯によって貧困に立ち向かおう」という考えのもと「住民家族共同体」を設立しました。経験のある熊谷さんと、強い信念を持ったエグジルさんとのパートナーシップにより、このプロジェクトは活発化していきます。

活動が始まってから6年が過ぎ、当初30世帯だった参加メンバーは、200世帯を超え、参加メンバーの拡大とともに、プロジェクトは当初の7ヘクタールの農園の共同運営から井戸やソーラーパネルの設置、330名の児童が通う小学校の設立へと拡大しています。メンバーの一人であるフロリダさんは「住民家族共同体が活動を始めてからこの地域は活き活きとして来た」といいます。

そして、ハイチの持続的な経済成長を促す視点から、失われた森林を復元するための植林事業の研修も始めました。その研修を行っている最中の2010年1月に、死者・行方不明者22万人以上を出した大地震がハイチを襲いました。ハイチの会はこの地震災害に当たり、被災地に食料配布などの緊急支援を行いました。大きな被害に見舞われたハイチですが、ハイチの会は変わることなく自立支援を続けており、住民家族共同体の運営費確保のためキャッサバのパン工場を新たに建設しました。困難を乗り越えつつあるハイチの人々は、多くの有形無形の成果を皆で分け合いながら自立へ向けて一歩ずつ進んでいます。


*1 : プロジェクト名 : 総合農園整備事業(2004年~継続中)

小学校で子どもたちに衛生教育の紙芝居をする
熊谷さん

小学校で子どもたちに衛生教育の紙芝居をする熊谷さん(写真提供 : 熊谷さん)

住民家族共同体メンバーと

住民家族共同体メンバーと(前列左から2人目がエグジルさん) (写真提供 : 熊谷さん)

ハイチ地図


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