コラム 3 看護水準の向上を目指して~エルサルバドルから中米カリブ地域へ広がる看護協力~

中米にあるエルサルバドルは、アメリカ大陸の中で面積が最も小さく九州の半分ほどの面積の国です。また、人口は約600万人と人口密度が高い国です。

日本はこのエルサルバドルに1997年から看護教育強化のための協力を行っています。*1この協力プロジェクトに、調査段階を含め、チーフアドバイザーをつとめるなど、一貫してかかわってきたのが、小川正子(おがわまさこ)さんです。

小川さんは日本で看護学校卒業後、看護師、看護教員を経験、そしてより良い看護を目指し、大学で行動心理学を勉強するつもりでしたが、そのための受験勉強中、偶然ポスターで見かけた青年海外協力隊に関心を持ちました。協力隊に応募し、採用された小川さんは、パラグアイの看護大学に派遣されました。任期終了後には、ホンジュラスでJICAの専門家として看護教育のプロジェクトに携わります。このときの経験を買われ、小川さんはエルサルバドルでの看護教育強化プロジェクトにかかわることになります。

小川さんが赴任したころのエルサルバドルでは、1992年まで続いた12年間の内戦により、保健・医療体制の整備が大きく遅れていました。こうした状況を改善しようとしたエルサルバドル政府の要請を受け、日本は1997年にこの看護教育強化プロジェクトを開始しました。

当時のエルサルバドルの看護教育は、限られた資料だけで一日中グループワークを行ったり、看護技術の学習は教師による演習を学生が見学するだけといったものでした。また、大学の看護学科を卒業するとそのまま看護師になることができ、看護管理者や看護教員にも看護師の経験なしになることができました。このような状況にあった看護水準を上げるべく小川さんは、取組を開始します。このプロジェクトはのちに他の中米諸国へ普及していきますが、小川さんはそのことを含めここまでプロジェクトが続くとは思っていなかったそうです。「継続できた一番の理由は、一緒に働くエルサルバドルの人たちの情熱です。その情熱を維持させるためには、良いカウンターパートを選ぶことです」と小川さんはいいます。

幸い小川さんは保健省の看護課職員だったコンスエロさんという頼もしいカウンターパートに恵まれました。看護教育強化のプロジェクトが始まると、複数の運営委員会が設立され、すべてが同時進行で行われました。コンスエロさんの業務量は膨大なものとなりましたが、「小川リーダーが必死だったから、自分たちはそれ以上にやらなければいけないと感じた」という彼女は、着実に仕事をこなしていきました。

こうして現在では看護師の国家試験が導入され、標準的なカリキュラムが作成された結果、エルサルバドルの看護水準は向上しました。小川さんは、自身の協力について「すべてを成し遂げたとは思いませんが、かなり燃焼しました。私が伝えたかったことを理解し、次につなげようとする『子ども』もたくさんつくりました。将来は、彼らなりの形をつくってくれると思います」と話します。

そして、近隣のグアテマラ、ニカラグア、ホンジュラス、ドミニカ共和国までこの成果を広める取組も行われています。このプロジェクトを通じて、これら諸国とのつながりも深まりました。ゆくゆくは中南米諸国で緊急時にお互い看護師を派遣し合う中南米版「国境なき看護師たち」をつくる夢を語る小川さんです。


*1 : 中米・カリブ地域 看護基礎・継続強化プロジェクト(2007~11年)など

ドミニカ共和国関係者へのアドバイス
(左から2人目よりコンスエロさん、小川さん)
(写真提供 : 小川さん)

ドミニカ共和国関係者へのアドバイス (左から2人目よりコンスエロさん、小川さん) (写真提供 : 小川さん)

対象5か国の関係者会議(写真提供 : 小川さん)

対象5か国の運営指導者会議(写真提供 : 小川さん)

エルサルバドルの地図


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