コラム 9 大河メコンの一滴に~ラオスでの柔道指導~
日本とメコン川流域の国々*1は近年交流を深め、日メコン交流年である2009年には様々な事業が行われています。そのメコンのほとりラオスで菊池正敏(きくちまさとし)さんは今日も柔道の指導のために汗を流しています。
長崎県平戸市で生まれ育ち、柔道と出会ったのは、高校1年の時。以来、九州大学で、卒業後入社した株式会社間組(はざまぐみ)で、そして62歳の今日まで四十年余り休むことなく、柔道に携わってきました。間組時代の通算6年に及ぶシンガポール、ネパール駐在の時も道場を探してひたすら柔道の練習を続けてきました。海外の駐在員生活で地元の人々と体をぶつけあい、稽古後に酒を酌み交わすうちに、「定年後は海外で柔道を教えたい。」という気持ちが膨らんでいきました。その後、「定年の時まで健康という保証はない。気力も体力も充実している今のうちに活動を開始したい。」という強い気持ちに突き動かされました。世界の柔道事情に詳しい名人から、ラオスが最も菊池さんが活躍する場にふさわしいとのアドバイスを受け、JICAのシニア海外ボランティア(SV)に応募して合格し、菊池さんとラオスの縁が始まりました。
2003年に赴任した頃、ラオスの柔道人口は約50人、道場も一か所のみで、あまり強い選手はいませんでした。そこで菊池さんは、ラオス柔道の強化には、まず今いる選手たちのレベルアップが必要と考え、ベトナムやタイといったメコン川流域の国々へ他流試合に出かけ、力をつけさせるようにしました。その他にもラオスの人々に柔道を教えるにあたって様々な工夫をしました。みなが怪我をしない、させないということを最優先にして準備体操を重視し、ラジオ体操の他、日本の講道館で行われている「柔の形」や足技をくり返し稽古させました。また、ただ勝てばよいというのではなく、国際的に礼儀正しい試合を行う心がまえを伝えました。こうしたたゆみない努力が実を結び、ラオスの選手は力をつけていき、だんだんと外国での試合で金メダルなどをとるようになりました。2007年、この地域で最も強い選手が集まる東南アジア競技大会(SEA GAMES*2)のタイ大会では9か国中3位となり、2つの金メダルがラオス選手の胸に輝きました。このような成果に対し、ラオス政府は菊池さんに名誉ある「労働徽章(きしょう)」を与えただけではなく、SVの任期終了後も2009年12月にラオスで行われるSEA GAMESに向けて引き続き指導してほしいと要請し、菊池さんは快く引き受けました。
この大事な試合に向けて一生懸命に指導を行っている菊池さんですが、協力しているのは柔道指導のみではありません。間組の海外駐在員時代にODA事業に関わった経験もある菊池さんは、日本政府の文化無償*3による武道センターの建設をラオスの人々と共に、日本、ラオス両政府に働きかけました。この武道センターは2009年11月に完成し、12月のSEA GAMESでは柔道の試合が行われ、ラオスの選手たちは見事な成果をあげました*4。
ラオス柔道の発展に自信を持つ菊池さんは、「技術や勝負だけではなく、礼儀をわきまえた国際人としての育成を心がけています。大河メコンの一滴かもしれませんが大切にしていることです。」とその心意気を語ります。そして、大会後もこの「縁ある仏教国ラオス」を側面的に支え続けていきたいと話しています。
*1 : カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス
*2 : South East Asia Games
*3 : 一般文化無償資金協力
*4 : メダル獲得はそれぞれ金2、銀5、銅4個。
地方道場での指導(ひざまづいているのが菊池シニア海外ボランティア)(写真提供 : 菊池さん)
新設の武道センター前でトレーニングする選手と日本人コーチたち(後列右端が菊池さん)(写真提供 : 菊池さん)