コラム⑩ ミャンマー国際緊急援助隊医療チームの活躍

ミャンマーでは、2008年5月2日から3日にかけて大型サイクロンが同国南部に上陸し、死者・行方不明者約14万人、約106億ドル規模の被害をもたらしました。日本政府はミャンマー政府の要請を受け、緊急無償資金協力を行うとともに23名からなる国際緊急援助隊医療チームを派遣しました。メンバーは、医師4名(団長を含む)、看護師7名(うち1名は助産師)、医療調整員6名(薬剤師、臨床検査技師、放射線技師、栄養士、救急救命士)、業務調整員6名(副団長である外務省員を含む)で、災害に伴う外傷、下痢、マラリアおよびデング熱等の治療にあたり現地で高い評価を得ました。医療チーム団長として尽力された金井要さんから現地での医療活動、そして医療チームの方々の生活面でのご苦労などについて寄稿していただきました。

ミャンマー連邦派遣国際緊急援助隊医療チーム団長
((財)救急振興財団救急救命九州研修所所長) 金井 要


診察中(右から金井団長、通訳のサニーさん、患者)
(写真提供:JICA

私は、5月25日に日本を出国、事前調査の段階からミャンマー入りし、関連機関から情報収集を行っていたが、得られる情報は限られていた。5月27日午後、ミャンマー保健省の担当者に派遣予定のラブッタについて尋ねた時は、「治安は問題ない。宿泊場所はない。水や食べ物の安全は保証できない。そろそろ雨季で、蚊が発生する。マラリアの恐れがあるから蚊張が必要。」ということで、「電気もないし、まあテント生活だね。」と軽く言われ、これからの活動の過酷さを暗示するものだった。5月30日ラブッタ入りした時の交渉で、かろうじて屋根のある宿泊場所が確保でき、簡易ベッドをぎっしり並べることで、屋外でのテント生活は避けることができた。

大型のサイクロン被害を受けたミャンマー南部デルタ地帯ラブッタに国際緊急援助隊医療チーム(以下、医療チーム)が到着したのは、5月30日夕方。翌31日午前に被災者約6,400人が生活している被災者キャンプに診療用テントを設置し、午後から診察を開始した。季節は熱帯の乾季で、素晴らしく晴れた空の下、気温は朝方の涼しい時で38度、日中は簡単に40度を超える。風通しの悪い診療用テントの中はもっと温度が高く、中にいるだけで体力が奪われていく。そのような過酷な自然環境の中での医療活動であった。

下痢、脱水、かぜ、皮膚病、外傷など、様々な疾患の患者が毎日110名から170名ほど診察に訪れた。我々は限られた人員と機材で患者を診察していった。日本の医療チームのうわさは、ラブッタ地域全域に伝わっている様子で、朝5時に村を出て歩いてきたという女性患者もいた。

医療チームは全員が医師か看護師と考える人にとっては、チームのサポート・スタッフである業務調整員の数が多く感じられるかもしれない。しかし、3.5トンの荷物、通訳や運転手を含めると40数名の人員、さらに約10台の車両(バス、トラック等)を雇いあげ、これらに荷物や人員を積み、現地に着いたら宿泊場所や診療用のテントを設営する。これを運用するのには知識や経験を積んだ業務調整員がリードしないとうまく動かない。緊急援助活動を円滑に進められるかどうかは彼らの力に負うところも大きい。


被災者キャンプと雨期の大雨
(写真提供:JICA

現地滞在中の飲み水はヤンゴンで調達、食糧は日本およびヤンゴンで入手した保存食品(お湯で戻すお米や麺、缶詰等)で、これを食べ続ける。また、乾燥食品にお湯を加えてもどし、レトルト食品や缶詰を毎日食べ続けるのは、結構大変であり、「健康管理は食べ物から」と実感する。食べ物は、隊員の健康や士気にかかわる。そこで業務調整員の出番である。医療スタッフが患者を診察している間に、飲食物を含め必要な物品をどこかから調達してくる。探し出してきた氷で冷やされた飲み物を口にした時は文明的な生活に少し戻った気分がした。

医療活動を開始してから1週間目ごろの話。慣れない過酷な環境で体にかなりの負担がかかっていた医療チームのメンバーに業務調整員が野菜スープを作ってくれた。過酷な自然環境のため、体調を崩す隊員も出始めており、熱を通したキャベツやジャガイモが入ったスープは大変おいしく、感動ものだった。

6月8日午前までの9日間の医療活動で延べ1,202人の診察を行うことができた。円滑に活動が進められたことにはサポート・スタッフの業務調整員が走り回ってくれたことも一役かっていた。活動期間中重篤なマラリアと診断し、現地病院に引き渡した後亡くなられた子供の母親が、チームの誠意ある活動に御礼をいいたいと撤収時に見送りに来られた。


診療所キャンプと被災者達
(写真提供:JICA


引渡式後の集合写真(6月8日)
(写真提供:JICA