サブ・サハラ・アフリカにおいては、人為的な国境線の画定、国家基盤のぜい弱性などを背景に、貧困、民族・宗教対立、経済的利権、独立問題などの複雑な要素が絡み合い、冷戦終結後、政府と反政府勢力間の権力・資源争い、部族の対立、国家間の対立による紛争が増加しました。中にはコンゴ民主共和国(旧ザイール)のように、1998年に発生した政府・反政府勢力間の争いが多数の近隣諸国を巻き込み、国際紛争に発展するケースもありました。これらの紛争は多くの犠牲者や大規模な難民・国内避難民を生み出したばかりでなく、経済の停滞、インフラなどの破壊、更なる貧困などの悪循環を招きました。この結果、これらの要因が重なり、様々な社会問題に十分な対策が講じられなくなり、HIV/エイズや結核、マラリアなどの感染症のまん延のみならず、一部の国・地域では人権の抑圧、武器・薬物などの流出入、組織犯罪の深刻化なども引き起こしました。
近年はアフリカ諸国やアフリカ連合(AU (注192))および西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS (注193))や南部アフリカ開発共同体(SADC (注194))などの域内地域機関など、アフリカが自らの手により紛争の予防・解決に積極的に取り組む自助努力の傾向が見られます。その成果として、約10年にわたって続いたシエラレオネの内戦が2002年に終結を迎えたほか、1975年の独立以来約27年にわたり繰り返されてきたアンゴラの内戦も2002年に停戦合意が成立しました。さらに1998年以来、近隣諸国が介入しての紛争が続いていたコンゴ民主共和国でも2002年に和平合意が成立し2006年12月には民主的な選挙によって成立した新政権が発足するなど、各地の紛争が徐々に終結し、アフリカ全体に平和の兆しが見えてきています。また紛争終結後、難民・避難民の帰還・再定住や元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR (注195))など、再び紛争に逆戻りせず平和を定着させるための取組が進展しつつあります。
日本は、1993年からアフリカ開発会議(TICAD (注196))プロセスを対アフリカ支援の基軸としており、2003年のTICAD IIIでは、日本が重視する支援の柱の一つに「平和の定着」を掲げる旨を表明し、これまで積極的に人道・復興支援を実施してきています。
近年のアフリカの自助努力(オーナーシップ)に基づく「平和の定着」を更に推進するため、2006年2月、日本はエチオピアのアディスアベバにおいて「TICAD平和の定着会議」を開催しました。そこでは、紛争終結国に対する支援の在り方につき議論を行うとともに、2005年3月に発表した対アフリカ「平和の定着」支援パッケージに引き続き、スーダン、大湖地域、西アフリカを中心にDDRや小型武器対策、地雷対策、元児童兵の社会復帰に対する総額約6,000万ドルの当面の支援を含むアフリカの平和の定着に向けた新たなるイニシアティブを発表しました。さらに、2006年4月から5月にかけて、小泉純一郎総理大臣(当時)がエチオピアおよびガーナを訪問した際に、アフリカの平和と発展に向けた日本の取組として、スーダンのダルフール住民に対する人道支援、小型武器対策支援、テロ対策支援、アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD (注197))支援、対アフリカ感染症行動計画とともに、ダルフール問題に関してAUが行っている活動を支援するため、約870万ドルの緊急無償資金協力を表明しました。
日本は、AUが紛争予防・管理・解決の分野で果たしている役割を高く評価しており、AUの活動を支援するため、2006年度までにAU平和基金に対し合計約482万ドル(注198)を拠出しています。さらに、紛争などにより避難を余儀なくされている難民・国内避難民などに対し、2006年度には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR (注199))経由で約5,700万ドル、国連世界食糧計画(WFP (注200))経由で約5,800万ドル、国連児童基金(UNICEF (注201))経由で約6,750万ドル、赤十字国際委員会(ICRC (注202))経由で約522万ドルの支援を実施しました。これらの支援は、主に緊急物資、食糧、医療、保健分野等人道分野における支援に活用されています。